スキー事故

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昔は、子供3人を連れてよくスキーに行っていました (家内は滑れないのでホテルで留守番でした)。 それは三男が小学6年の時で、だんだんスキーがう まくなり、生意気な滑りをするようになっていた時期 でした。 志賀高原にあるそのゲレンデは、広い緩やかな斜面 に林があり、その間を抜けて滑るのがウリでした。 三男は兄たちの後を追い、私はその後ろから滑って 行きました。どんどんスピードをあげる3人に、「危ない からゆっくり滑ろ!」と注意をしたのですが言うことを 聞きません。 事故は一瞬の間でした。 三男が木の間をすり抜けようとした時、頭を勢いよく 木にぶっつけ、吹っ飛んだのです。 私はビックリしてスキーを脱ぎ捨て、息子に駆け寄り ました。 よく、お風呂や廊下で転んで頭を打っても、すぐに泣 けば大丈夫という話を聞きます。しかし、息子は目を 見開いたまま、呼びかけにもまったく反応しません。 私はてっきり・・・・ 気を取り直して上着を開き、見よう見まねで人口呼 吸をしました。すると息子が、うめき声をあげました。 兄二人に救急隊を呼びに行かせましたが、到着する までの時間が無限に長く感じられました。 三男は救急隊のソリで診療所に連れていかれ、診 察を受けました。意識は少しハッキリしてきましたが、 心配なのは後遺症です。 ふもとの町の病院で精密検査を受けることになりま したが、救急車を呼んでも40分以上かかるとのこと。 そこで、ホテルで留守番をしている家内に連絡し、 自分の車で連れて行くことにしました。 兄たちは、意識の朦朧としている三男を見送りなが ら涙ぐんでいました。 頭を打った直後は元気でも、しばらくしてから亡くな るケースもあると聞いたことがあります。そこまでで はなくても、後遺症のことを考えると・・・車中では、 夫婦とも暗い気持ちでいっぱいでした。 精密検査が終わるのに、長い時間がかかりました。 その結果は・・・異常なし。後遺症も出ないとのこと。 それを聞き、家内と泣きました。 毛糸の帽子をかぶっていたのが、クッションになっ て幸いしたようです。。 目が見開いたままになっていたというのは、脳震盪 を起こした時に起こった症状だそうで、私の人工呼吸 で生き返ったわけではないようです。 念のために一週間入院することになり、家内が付き 添うことになりました。 病院を出たのは、夜の8時ごろでした。 その時の私の車は、普通車にチェーン。 雪が降る真っ暗な山道は凍結し、油断をすると滑っ てすぐにコースアウトしそうになります。 慎重に運転をしながら、「今ごろ上の二人は、お腹 を空かせて部屋で心細くしているのだろうなあ」と 思いました。 やっとの思いでホテルに着き、部屋に行ってみると 二人がいません。フロントに聞いてみると、二人は レストランで食事中とのこと。 行ってみると、二人は家族でも頼んだことのない コース料理を頼み、最後のデザートを食べていまし た。弟が病院に行く時は涙ぐんでいたくせに! 私も頼もうと思ったら、もう閉店時間とのことで、パン だけをもらって部屋に帰りました。 その後、三男は後遺症も出なく、元気に暮らして います。イヤ、時々トンチンカンなことを言うのは後 遺症のせいなのか。 いまは、生意気なことを言って親を怒らせたりして いますが、人工呼吸をした時、息子がお昼に食べ たカレーの味がしたのは今でも忘れられません。 ]]>

おもしろ友人 スキー編