栃木の名門

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私の叔母(母の妹)は、ある栃木の名門に嫁いでいま した。 叔母の義父は長年衆議院議員として重職を歴任し、衆 議院議長も務めた人でした。夫は参議院議員で後に栃 木県知事を3期務め、息子も現・衆議院議員という政治 家一家です。叔母は、その3人の政治生活を陰で支え てきました。 また、明治18年創立の作新学院のオーナーでもあり、 25年前に叔父が亡くなったあとは叔母が院長に就任 しましたが、20年前に突然脳出血で倒れ、半身不随 になってしまいました。しかし、車椅子の生活になりな がらも、叔母は気丈に学園を守ってきました。 作新学院は幼稚園から大学まである総合学園で、特 に高校野球の強豪として名をはせ、甲子園にも何度か 出場しています。 現在野球解説者として活躍している江川 卓氏の母校 としても有名で、在学中はエースとして活躍しました。 余談ですが、以前家内の実家と懇意にしていた銚子商 業も高校野球の強豪で、1973年に作新学院と甲子園 で死闘を繰り広げました(その時のピッチャーが江川氏)。 その3年後に行った我々の結婚式で、当時作新学院院 長だった私の叔父と、招いた銚子商業の監督が握手を していたのが強く印象に残っています。 母と叔母とは一つ違いで、仲がよかったのでよく遊びに 行き来していました。 80歳に近くなっても、お互いを「昌子ちゃん」「裕子ちゃ ん」と呼び合い、それが微笑ましく思いました。 おしゃれが好きで、身体が不自由になってからもおしゃ れは欠かさなかったそうです。 政治家一家の家庭ですから、昔から叔母の家は調度 品が立派で、外国の珍しい置物などが飾ってあり、生 活も欧米式でした。 幼いころ遊びに行くと、広い従兄弟の部屋には、宇都 宮という場所にもかかわらず、見たこともない大きな おもちゃが棚に並び、羨ましく思っていました。 そのくせ従兄弟が私の家に遊びにくると、私の数少な いおもちゃを欲しがるので、従兄弟の来訪は歓迎せざ るものでした(いまは人のものを欲しがるようなことは ないでしょう)。 叔母は人を楽しませるのが好きで、よくパーティーなど を開いていました。 昔クリスマスパーティーに呼ばれると、外国製のおもちゃ や食べたこともないアメリカのアイスクリームなどをもら えるので楽しみでした。でもその前に必ずゼスチャーや ゲームをやらされ、それが子供心に憂うつでした。 叔母の葬儀は、いまではめずらしい神式で行われまし た。 式場には、麻生総理大臣をはじめ、政界・財界、学校 関係者から多くのお花や弔電が寄せられ、亡き叔母を 偲ぶ弔問者の列はあとを絶ちませんでした。 叔母は、昨年亡くなった私の母と同じ年で亡くなりま した。 「二人は仲良しだったから、いまごろ天国で仲良く昔 話でもしているでしょう」と、みんなが口々に話してい ました。 ]]>

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