一つは、母が学生時代に書いた料理ノート。 当時の乏しい材料を使い、工夫しながら作った 料理がカラーのイラスト入りで書かれており、 我が母ながら、なかなかの絵心と思いました。 もう一つは、戦争中に母が作った慰問袋を持つ 少女の人形ですが、これはお世辞にもうまいと は言えません。 しかしこの二つが、後に染物や人形作りなどの 手芸に没頭した母と、そのDNAを受け継いで イラスト描きや模型作りが好きになった私の原 点かと思うとなんだか感無量でした。 「エモン袋」とあるのは栃木弁? さらに、引き出しの奥にすごいものを発見。 それは古い封筒で、宛名は旧姓の母、差出人 は父でした。 見ていいものかと迷いながらも興味が先にたち、 読んでみると便箋6枚に書かれた父のラブレター でした。 両親は見合い結婚でしたが、何度か会った後 に書いて送った手紙のようです。 最初は自分の近況を長々と書き、次に母と会 った時がいかに楽しかったかと書いてありまし た。そして文章はいよいよ核心に・・・ 自分は、同年代の従兄弟に比べて積極的で はなかったけれど、母への思いは誰にも負け ないということと、是非また会いたいので何月 何日何時着の汽車で宇都宮に来て欲しいと 書いてありました。 会社の封筒というのがちょっと・・・ 家内は手紙を読んで、父の思いがよく伝わっ てくると感動していました。「至急」のスタンプ が、父のはやる気持ちを現しているようです。 家ではいつもえばってよく母を怒鳴っていた父 が、こんな手紙を書いていたとはオドロキ。 この手紙がとってあったということは、もらった 母も嬉しかったのでしょう。だからこそ亭主関 白の父に黙って尽くしてきたのだと思います。 この手紙の存在を知っていれば、母の棺に入 れてあげられたのに・・・ 母はこの汽車に乗って会いに行ったのでしょ うか?いまとなっては確かめようがありません が、私が生まれたということは、父の思いは 伝わったのです。 電話もなかなかかけられない時代に、昔の人 はこうして自分の思いを伝えたのですね。 まさに恋文です。 先日兄弟家族が集まったとき、メインイベント にこのラブレターを読み上げましたが、知られ ざる父の側面にみな感動していました。 ふと思ったのは、私が死んだあと子供達に同 じことをされたらたまりません。 そこで家内に「私のラブレターはとっていない だろうな?」と聞くと「そんなのもらってない!」と 言われました。 ご主人や奥様からいただいたラブレターには ご注意を。もちろん、違う人からもらった手紙 は論外です。 ]]>