ずいぶんむかしに行った覚えがありますが、あれからだいぶ道路 事情も変わりました。新しい行き方があるだろうとナビまかせで行 くと、どんどん畑の中の道を進んでいきます。いくら近道とはいえ、 こんな道路の選択はいかがなものか・・・。ちょっと不安になったこ ろ、大谷観音の門前に出ました。 寺の名は大谷寺で、天然の洞窟の中にすっぽりと包まれていま す。810年に弘法大師によって開基され、中には10体の磨崖 仏(自然の崖に彫った仏様)があって国指定の重文特別史跡と なっているそうです。中でも、弘法大師自ら彫ったといわれる高さ 4mの千手観音(大谷観音)は、磨崖仏では日本最古とのこと。 敷地の中庭に池があり、島に大きな白い大蛇の像があり、ご利 益があるとみんななでてました。 次に、近くにある平和観音を見に行きました。太平洋戦争の戦 死者を悼み、昭和23年から6年かけて、大谷石採石場跡の壁 面に手彫りで彫られたそうです。私はてっきりこれが大谷観音 だと思ってました。間違える人は多いでしょうね。ちなみに、さ きほどの大谷寺との関係はないそうです。 ここから車に乗って、ちょっと離れた大谷資料館へ。ここには大谷 石採掘にまつわる昔の道具や採掘方法などが展示してあり、採 掘場跡に入る入り口にもなっています。 昔の手掘りの道具 大谷石というのは軽石凝灰岩の一種で、この大谷町付近一帯で 採掘されることから付いた名前です。柔らかく加工がしやすいこと から、古くから外壁や土蔵などの建材として使用され、昔の帝国 ホテルにも使用されていました。実家のお墓の基礎にも使ってい ますが、長く風雨にさらされるともろくなってしまいます。 昔は露天掘りだったそうですが、近代機械化されてからは地下か ら採掘され、その採掘跡の広さは2万平方メートル、深さは30m にもおよぶそうです。20年ほど前、この地方で直径100mの巨 大な地盤沈下がありましたが、無計画に石を掘り過ぎ、実際の空 洞の実態はつかめていないと言っていた事を思い出します。 わかっているだけでこれだけの空洞があるそうです。自分の家の 地下が空洞だと知ったらいい気持ちはしませんね。 実際に入ってみると、その巨大な空間に圧倒されます。気温は 通年7度で、今ごろだと寒いぐらいです。戦争中は、ここで戦闘 機の組立てもしていたとのことで、現在はコンサートや展覧会な どが行われているそうです。 誰かの展覧会をやってました。 百聞は一見にしかず。実際に見ないと写真ではそのすごさはわ かりません。しかし、呆れるほどよくもこれだけ石を切り出したと 思います。 見学が終わるとちょうどお昼時。近くにおそば屋さんでもないか と係りの人に聞くと、親切にも地図で教えてくれ「ここならイモム シも食べられます。」と言いました。えっ?イモムシ?あまりに サラッと言うので聞き返すこともしませんでしたが、友人も確か にそう聞いたとのこと。ここら辺ではイモムシを食べるんだ・・・ 地方地方でいろんな習慣がありますから。いや、もしかしたゲテ モノを食べさせるそば屋か? でも、ものは試しとそのそば屋に行くことにしました。店構えは 普通のそば屋。中に入っても、そんな変なものを食べさすような 感じはありません。普通にそばを注文して食べていると、他の お客さんが何かを買って帰ります。もしや、これが・・・? お店の人に中身を聞くと「当店名物のイモグシ(イモ串)です」。 な~んだ。ただの聞き違いです。サトイモの味噌田楽で、食べ たら美味しかったので、みんなお土産に買って帰りました。 ]]>