3月11日の地震の後、工場や実家のことがとても気になってまし たが、東北高速道路や新幹線が不通の上、ガソリン不足でなか なか行くことができませんでした。 地震から5日後、やっと常磐道経由で行けるようになり、給油も できたので(10Lですが・・)行ってくることにしました。 当社工場はそれほど被害がなかったのですが、うちから3キロ東 京寄りにある某自動車工場では、しばらく操業できないくらいの 被害があり、1人が亡くなってます。また、その先の工業団地で も、かなりの被害があったようです。 うちの工場では、天井のボードが落ちたり、棚が倒れたりとすご い状況だったようですが、誰も怪我することもなく、操業にも影響 がないのが奇跡のようです。地盤の硬さの違いもあるのでしょう が、古い建物の方が頑丈なのかもしれまん。 工場に近づくと、途中にある家の塀が倒れています。栃木県は 大谷石の産地で有名ですが、大谷石の塀は鉄筋が入っていな いため、ほとんど全部がバタンと倒れていました。 御料牧場の大谷石の塀も・・・ 中には大谷石の蔵が全壊したところもあります。 また、田んぼの中にあるお墓も、ほとんどが倒れていました。 住宅も、場所によっては全壊したところや、ヒビが入って住めなく なった家もあるとのこと。瓦屋根の家は5件に1件ほどの割合で 落ち、あちこちでブルーシートが被せてあります。新築直後に屋 根が壊れた気の毒な家も。特に高台の造成地に被害が大きかっ たようで、前記の工場もそういう所にありました。 後日聞いた話しでは、瓦職人が少ない上に瓦の生産が間に合 わず、ついに平和な村に瓦泥棒が発生したとか。 工場内を見ると、土台や壁に亀裂が入り、聞いていた話よりは 重症のようです。でも、操業に影響はなさそう。 問題は歴史的建造物です。 薬師堂・観音堂 江戸時代にできた薬師堂はほとんど無傷。狛犬は無事でしたが 前にあった2つの灯篭が倒れてます。観音堂は柱と土台が少し ずれてました。 稲荷神社 敷地内に5箇所あるお稲荷神社は無事でしたが、灯篭は全滅で す。 書院 明治時代の書院は、全体的に少し傾きました。中に入るとそれ が顕著にわかります。内部もヒビが入ったり、土壁が落ちてまし た。あとで建築屋さんに聞くと、上と下の梁が太かったので折れ ずに済んだとのこと。あと、重い瓦屋根でなかったのが幸いした そうです。 蔵 一番ひどいのが江戸時代の土蔵で、ご覧のとおり。期せずして 蔵の構造がわかりましたが、木造の本体の周りに編んだ竹を めぐらせ、土壁で固めてます。防湿、防火の効果があったので しょう。中はほとんど無傷でした。 灯篭 大小30基以上ある灯篭は、ほとんどが倒れました。みんな南向 きに倒れており、南北に揺れたことが想像できます。巨大な灯篭 が倒れており、そばに人がいたらと思うとゾッとします。 墓 数年前に建てた先祖代々のお墓と、両親・祖父母のお墓以外は ほとんどが倒れてしまいました。でも、これだけの被害で済んだ のは、ご先祖様が身を挺して守ってくれたからかもしれません。 うちと近所の被災状況はこんなところです。 その後、食糧やガソリンの不足が深刻化しました。特に車が無く ては生活できないこちらでは、10Lのガソリンを入れるのに5時間 以上も並ぶという異常事態が数週間続きました。 計画停電がありましたが、なぜかうちの周辺だけ真空地帯のよう に停電になりません。これもご先祖様の力?・・・不思議です。 ]]>