この日はすっかり晴れていい天気。市内のどこからでも、雪をいた だいた立山連峰のすばらしい景色が見れます。 きのう訪ねた会社の社長から、運転手さん付きの車を1にち貸して いただけることになりラッキーでした。資料館はどこも交通が不便な 所にあり、しかも流しのタクシーがないため、時間の節約にもなって 大変助かりまし 最初に訪れたのは、富山市売薬資料館。ここには富山の売薬ーい わゆる配置薬の歴史が展示されています。 富山の薬が有名になったのは、江戸城で、ある大名が腹痛をおこ したとき、富山藩主が持っていた反魂丹(腹薬)を飲ませたところ、そ れが劇的に利いて各地の大名が欲しがったのが始まりだそうです。 その薬の販売を、藩の政策にしたところが先見の明。 いまでもその慣習があるのか、各県に医薬品製造販売を監督する 監視指導課というのはありますが、薬業の振興を計る薬事振興課 があるのは富山県だけです。うらやまし~。 さすが市営の資料館だけあって、展示物や展示方法が立派。むか しの置き薬や配置屋さんの道具、景品などが展示してあります。 ただ、製造道具だけはうちの史料館にあるのとほとんど一緒でした。 配置薬というのは、薬箱を家庭に預け、半年に1度使った分だけお 金をもらうシステムのこと。先に使ってもらい利益は後からということ で、これを「先用後利」というそうです。 むかしの配置薬 撮影不可のためパンフレットより 宇津救命丸も、江戸時代では旅籠に預け、売れた分だけお金をもら っていました。これは顧客サービスとしてはいいですが、資金的には かなり厳しかったことでしょう。 ここで年表に「家庭薬」という文字を発見。 我々家庭薬の組合では、配置薬と違うという意味で家庭薬という名 称を使ってましたが、年表には1921年の厚生省令で医療用以外を 家庭薬とすると書いてありました。そういえば、古い展示品にはどれ も家庭薬の文字が入ってます。誰も気づかなかったのか、これはや やこしいことに・・・ 次に、富山県の外郭団体が運営する金岡邸に行きました。ここは、 江戸時代に薬種商として成功し、のちに電力、鉄道、金融にまで手 を広げた金岡氏の豪邸で、薬種商時代のお店を再現し、配置薬の 資料が展示されてます。入り口の引き戸を開けると、そこには昔の 帳場が再現。壁には、たくさんの生薬を入れておく百味だんすが ぎっしり並び、ほんとに百ぐらいはありそうです。 人形がいるとリアルですが、現代風のイケメン顔がちょっと・・・ 館内の展示物も豊富で、見せ方にも工夫がしてあり、大変参考に なりました。 こんなものも むかしのくすりの入れ物 どこかで見たような・・・ 国内に数体しかないといわれるジャコウ鹿の剥製がありました。 中国から富山県に寄贈されたものだそうです。実は数年前まで、う ちの史料館にもあったのですが、抜け毛 ? がひどく、あるところに寄 贈してしまいました。 鹿なのに牙があるのが特徴です。大きさは小鹿ぐらい。 次に、今回の目玉ともいえる、丸剤の実演を見せてくれる池田安兵 衛商店。一階は薬局・・・というより売店のようで、効きそうなな地元 の薬や健食を売っています。 店の真ん中に丸剤を作る道具があり、お店の人が丸剤を作って見 せてくれます。これは是非うちの史料館でもやりたいことで、これを 見たくて富山に来たといっても過言ではありません。 練った原料がところてんのように押し出され、それを包丁で正確に 切って並べます。 それをもみ板でまるめるのですが、相当の経験がないとできませ んね。 うちはいまは機械で丸めていますが、昔は同じように作っていて、 道具も残っています。 丸の大きさは正露丸程度。これより小さい丸を丸めるのは難しい そうで、むかし救命丸を丸めていた人はすごかった。 ちょうどお昼時なので、二階で薬膳料理を食べることに。 コースになっていて、薬膳としてはまあまあ美味しかったです。高麗 人参と鳥のスープを飲んだら、身体が火照って汗が出てきました。 最後は、配置薬で有名なK社へ。ここでは、広い売店の中でPR映画 を見せられ、売店で薬の試飲を勧められました。これも富山ならでは? 隣接する資料館を見学しました。市営や県営と比べると、やや展示 物は寂しいかな。個人でやっているうちの史料館も負けてないです。 富山が薬で発展したきっかけとなった、江戸城のできごとのジオラマ 車を貸していただいたおかげで、見たかった資料館すべてが見れま した。最後に空港まで送っていただき、富山を後にしました。 大震災の前日のことです。 ]]>