その中に「栃木県医療史」の編集会議がありました。壬生にある、獨協大学
医学部の40周年記念事業として、栃木県の医療史を出版するのです。うちは、
県内最古の医薬品メーカーとして執筆依頼がきました。息子が依頼を受け、
私が下請けをしたので、いわば共同執筆といったところでしようか。
初めて招集を受けましたが、編集会議といってもどういう人が出るのかわか
りません。当然、お医者さんばかりなのでしょうか? 私も薬剤師ですが、
どうもお医者さんというと気後れしてしまいます。
壬生は、うちの実家から30キロほどなので、実家から行くことにしました。
ナビを頼りに行くと、北関東自動車道の壬生インターからすぐでした。国道か
ら入ると、病院と大学が一緒で、そこは広大な敷地。ナビが「600m先を右折」
と言うほど広いのです。外はもうまっ暗で、どの建物なのかさっぱりわかりま
せんが、目的地を電話番号で設定したので、近いとこまで来てるはず。
建物を囲むように広大な駐車場があり、何百台という車が停まっていて、まる
でディズニーランドの駐車場。さすが車社会です。
歩いていた学生に場所を聞くと、親切に案内してくれました。
会場に入って出席者のリストを見ると、半数が先生で、半数が歴史学者。
その中に、なんと大学時代の同級生がいました。いまは薬剤部長だそうです。
学生時代に交流はありませんでしたが、こういうところで会うと心強い。
会議のあと、食堂で立食の懇親会がありました。学生食堂なのに、運営は銀
座スエヒロだそうで、さすがは医学部。私の学生時代と比べると羨ましい限り
です。
医療史は、ほとんどが医学の話しになるのでしょうが、その数ページにでも載
れるのは大変名誉なことです。ちなみに、創業者が壬生の出身ということで、
もう一社太田胃散が載るそうです。
別の日に、量販店で配布しているフリーペーパー「 Kiita 」 の取材がありまし
た。宇津救命丸のタイアップ広告で、夜泣きで悩んでいるお母さん方に、私が
説明をするという形です。4人のお母さんがお子さん連れで来られましたが、
若いお母さん方に囲まれ、ちょっと緊張しました。
救命丸を使ったことのないお母さんは、薬=病気というイメージから、夜泣きに
薬を使うという発想自体がなかったとか。たしかに、夜泣きが病気だとは断言
しずらいですが、夜驚症という医学的に立派な病名があるのです。また、別の
お母さんは、赤ちゃんが泣くのは当たり前だから、夜泣きの意味さえわからな
かったそうです。
私から、救命丸の特徴や、長く飲み続けることで体質が丈夫になること、免疫
力には睡眠が大切という話をして、理解していただきました。
この記事は、ドラッグストアで配布される Kiita2月号に掲載されます。
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