私はいままで、事故にあったり堀に落ちたりハチに刺され たり、いろんな目にあいましたが大事に至らず、また、大 きな病気もしていません。妻はいつも「絶対お薬師様が守 ってくれている」と言ってます。 そういえば、毎年一万燈のときに読経を聞きに来ている 近所の人も、大病したのにいまは元気になりました。 霊験あらたかなお経を浴びているせいかも。 お薬師様に、早くコロナウイルスに苦しむ人々を回復させ、 健康にして頂けるよう願っています。 その薬師堂ですが、去年のある日、工場の近くに住んでい る(といっても10キロ以上離れてますが)小・中・高の同 級生から、薬師堂について話があると電話がありました。 彼はうちの遠い親戚と交流があり、その親戚が私と話を したいということで電話を替わりました。変な話ではあり ますがすが、その方とはほとんどお付き合いがなかったも ので。 その方の敷地にも古いお堂があり、詳しい人の勧めで研究 者や仏像の彫工師にみてもらったそうです。 そのときに「高根沢の宇津さんの所にも古いのがある」と いう話が出て、そこは親戚だと言うと、ぜひ紹介して欲し いということになったそうです。 私も詳しいことを知りたいので、渡りに舟でみてもらう ことになりました。 当日、専門家4人+親戚と友人の総勢6人で見えました。 彫り物師さんはわざわざ埼玉から。恐縮です。 薬師堂を近くで見るなり「これは石塚吉明の作だな」と。 えっ?苗字が付いてるって・・・最近の人? ちょっとびっくりしましたが、詳しく聞くと、石塚吉明は 江戸時代の彫工師で、東照宮の修繕に関わったのだとか。 1862年に鹿沼の彫刻屋台(日光市指定文化財)を作ったそう です。よかったー。江戸時代でも偉い彫工師となると苗字 を名乗れたんですね。 その彼の仕事だとすると、いままで「薬師堂は東照宮を建 てた宮大工が建てた」と説明してたのを変えなくてはなり ません。でも「まったく東照宮とは関係ない!」なんて 言われなくてよかったです。 薬師堂は江戸時代初期の1659年に建てられ、後に一度消失 して再建しています。前のお堂がどんなだったか知る由も ありませんが、再建したのがかえってよかったのかも。 薬師堂は総ケヤキ造りですが、建物に竜や松、雀やリスな どの動植物が彫刻されていて、一つ一つが素晴らしいと褒 めていただきました。 この建物は上から見ると四方の屋根が同じ形をしています (ドローンで確認)。そして、建物の東西南北には中国の四 方を守る神様が守っていて、南には朱雀(すざく)、東には 青龍(せいりゅう)、北には玄武(げんぶ)、西には白虎(びゃっこ) がみてとれる・・・だそうです。 朱雀 南を表し夏を表す。色は赤。 青龍 東を表し春を表す。色は青。 玄武 北を表し冬を表す。色は黒。 白虎 西を表し秋を表す。色は白。 土台の石は那須地方の石で、建物以外にもたくさん使われ ており、どうやって大量の石を運んだのかと首をかしげて ました。また、石を削る技術からして、加工は江戸の職人 がしたのだろうと。 中に入ると、仏壇?の彫りの細かさにまた驚いていました。 ケヤキには、彫刻に向いていない硬いのと、向いている柔 らかいのがあって、ここに使われているのはケヤキのいわ ば大トロだそうです。 薬師如来のご本尊は、重なる修復のために厚塗りされ、 細かいデテールが消えてのっぺりした感じに。 でも修復は可能で、一度金箔を剥がしてやり直すことも出 来るそうですが、自分でやったら凄いことになるでしょう。 あの、勝手にマリアの絵を修復して別人にしたオバサンの 絵のように。 彫工師の人に、前々から知りたかったことを聞きました。 細かい彫刻をしているとき、手が滑って余計な所を削って しまったらどうするのかと。 すると、指を1本切り落としたら4本しか見えないように物 を持たせるとか、ノリで付けちゃうとかするそうです。 彫工師はみんなストイックで、失敗したら最初から彫りな おすのかと思っていましたが・・・以外です。 4時間近くも薬師堂のあちこち見て頂き勉強になりました。 ]]>