少し前ですが、昨年の12月にホンダと日産が提携するというニュース
を聞いて驚きました。でも、その後間もなく提携は解消すると聞いて
二度ビックリ。
日産幹部のプライドが、ホンダの子会社化を嫌ったというような話も
聞かれましたが、過去の日産の隆盛を思うと、その気持ちもわからな
くもありません。それにしても、一緒に参加しようとしていた三菱
自動車はとんだとばっちりでしょう。
むかし、うちで初めて買った車がホンダの軽乗用車N360でした。
当時うちでは誰も免許を持っていなく、もちろん自家用車もなかった
ので、初めて私が軽自動車免許を取り、N360を買った、いや、買って
もらったのです。むかしは軽自動車免許というのがあって、16歳から
取ることが出来ました。
N360を買ってもらうまでの涙ぐましいエピソードはまた今度に。
1967年当時のホンダはまだオートバイが主流のメーカーで、サービス
拠点もほとんどなく、軽自動車はオートバイ店で購入し、整備も店主
が店先で一人でやっていました(ちょっと悲しかったです)。
内装はシンプルだったけど、エンジン性能は当時の軽の中でダントツ。
ちなみに、空冷エンジンで暖房の効きはメッチャ悪かったです。
写真はホンダコレクションより
その後普通免許を取り直しましたが、欲しいと思った車はやっぱり日産
かトヨタでした。
当時、日産とトヨタはいいライバル関係で、日産セドリックに対し
トヨタはクラウン、日産ローレル対トヨタマークⅡ、ブルーバード対コロナ、
サニー対カローラと、ほぼ対等に渡り合ってました。いま都市部のパトカー
はほとんどクラウンですが、むかしはセドリックと二分してました。
そして買ったのがブルーバード3S (祖父はサンエスと言ってました)。
ブルーバードが欲しかったのは当時のCMの影響です。
雪深いホームで汽車に乗り遅れた女性。その女性を見知らぬ男性がブルー
バードに乗せ、汽車を追い越して次の駅でその汽車に乗せ、名も告げず
に去っていく。「カッコいいー」と思ったのです。
ちなみにブルーバードを買って初めて乗せた女性は妻でした(YouTubeで
今でもCMが見られます)。
しかし、いくら蒸気機関車でも、平地の直線だったら80キロは出して
いたでしょうから、それを追い抜いたとなると完全なスピード違反。
まあ、それよりいまだったら、見知らぬ男性の車に乗ったということ
の方で炎上するかもしれませんが。
話は脱線しますが、車の速さを示すもっと極端なCMがありました。
トヨタカローラのCMで、木になっているリンゴをアーチェリーで射貫
こうとしているのを見て、矢が放たれた瞬間ダッシュし、矢を追い越し
てリンゴを取って食べてしまうというもの。スーパーマンの影響か、
さすがに弾よりは早くないですが、いまだったら誇大広告でお叱りを
受けるところです。当時はおおらかでした。
ブルーバードを買うとき、日産には大きなショールームがあって驚き
ました。サービスステーションも都内に何ヵ所もあり、ホンダとは格段
の差。
当時は技術の日産といわれ、ブルーバードの走行性能はライバルの
トヨタ車よりも優れ、運転性能は車好きの友人を唸らせました。
ホンダは1969年に初めての普通車、ホンダ1300を発売しました。77と
99の2種類があり、前者はスタンダード型、後者は高性能型。
先輩が99を買って絶賛してましたが、次に買った車は日産でした。まだ
出来立てのホンダ車には不満があったようです。
そのホンダが、まさか日産をしのぐようになるとは。
写真は名車文化研究所より
当時、日産のスターになったのはスカイライン。日産がプリンス自動車
を買収し、プリンススカイラインがニッサンスカイラインとなったのです。
1971年発売の3代目スカイライン(愛のスカイライン)、4代目ケンとメリー
のスカイラインのCMが大ヒットし、記録的な販売台数となって私もファン
になりました(ケンメリのCMは16本も作られたそうです)。
そういえばいまの車のCMは、むかしのようなストリー性や夢のあるもの
がないような。
つづく