思い出の日産とホンダ  PAT2

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スカイラインのGT-Rはレースで連戦連勝し、フェアレディZはサファリ
ラリーで優勝するなど、当時の日産は輝いていました。いまでも両車
の中古車はヴィンテージカーとして国内外で人気があり、数千万の価
格が付いてるとか。ちなみに、日産がサファリラリーに初参戦した車
は初代のブルーバードです。

 

また日産は、日本初の皇族車両プリンスロイヤルを生産(開発は旧プリンス
自動車)するという栄誉も授かりました。

 

1965年に発売した2ドアクーペの日産シルビアも若者に人気となりま
した。当時の4ドア車はスタイルが悪く、若者には2ドアのクーペが
人気で、車種によっては4ドアと2ドアの2つのタイプがありました
(ブルーバードもスカイラインも2タイプ)。
その後、真ん中の柱を無くしたハードトップというスタイルも流行。
4ドアのセドリックにもピラーレスが登場しましたが、今では安全
面で考えられません。

 

そういう私も2ドア派でしたが、結婚して子どもが出来、後席に子供
を乗せて乗り降りするのが難儀でした。その後4ドア車のデザインも
よくなり、4ドア車に代えたら乗り降りが楽なこと。いまでは国産車
で2ドア車なんて数えるくらいですから時代は変わりました。

 

ホンダの乗用車が認知されだしたのは、1972年に発売したコンパクト
カーのシビックではないでしょうか。その後の大衆車の代名詞になり、
現在11代目が販売されています。

 

日産が1988年に発売したシーマは、シーマ現象といわれたぐらい大
ヒットしました。それまで法人向けだった3ナンバーの高級大型車を
一般向けとし、若い世代にも人気となりました。バブルの象徴ともい
われ、購入理由の第一位はなんと「値段が高いから」だったそうです。

 

うちの社用車はずっと日産でした。
担当のセールスマンはやり手で、よく面倒をみてくれましたが、ある
時突然配置替えとなり、憤慨して辞職しました。あとで思うと、その
頃から日産はリストラを進めていたのかもしれません。

 

とくに日産車に不満はなかったですが、そのセールスもいなくなり、
ある時初めてトヨタ車に乗換えたら目から鱗。むかしの印象は払拭さ
れ、スタイルや内装、メカに魅了されて、その後日産車に戻ることは
ありませんでした。

 

ホンダの車も久々に買いました。
妻は、私の母の病院の送り迎えをするために免許を取り、車を買うこ
とになりました。小型車であれこれ比較し、結局ホンダのフィットに。
N360以来じつに30年ぶりのホンダ車でしたが、内装もスタイルも洗練
され、とくに広い室内のデザインは、その後の小型車のスタンダード
になったようです。妻は「ベティちゃん」という愛称を付け大切に乗っ
てました。

 

日産が低迷した原因はいろいろ言われてますが、ある評論家によれば、
「日産の技術は今でも素晴らしいけど、欲しくなるような車を造って
いない」と。久々にネットでカタログを見て、バリエーションがずい
ぶん少なくなったと感じました。とくに旗艦だったシーマやインフィニ
ティ(セドリックの後継車)が生産中止となっていたのは寂しい限りです。

 

この後編を書いていたら、日産がホンダの資本受入れを再検討すると
いうニュースを聞きました。
「技術の日産」の復興を願っていますが、世界に誇る日本の車産業にも
頑張ってもらいたいものです。

 

トヨタ・日産・ホンダにかかわらず、若者の車離れが加速し、免許すら
取らない人が増えているとか。
私がむかし憧れたような、もっと夢のあるコマーシャルだったら・・

 

思い出の日産とホンダ  PAT1