今回も孫のジジ馬鹿ネタですいません。
以前、年々変化する孫のマイブームの話をしましたが、先日会津
に行ったとき、刀のオモチャを買って、あれから彼の戦国ブーム
が始まりました。「信長の陰謀」というゲームの影響もあるようです。
歴史の漫画を読んでいて、いろいろな質問をしてきます。
「豊臣秀吉は名前が何回変わったか?」とか、「織田信長が若い頃
なんて呼ばれていたか?」とか。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信ぐらいまで
はわかりますが、毛利元就、黒田官兵衛辺りになってくるとこっち
も怪しくなってきます。
孫が、本能寺での織田信長の最後の辞世の句、「人間五十年・・・」
と言い出した時はさすがに驚きましたが、全部漫画で覚えたそう。
意味はわかってないと言っていました。
思えばうちの子供らも小さい時は何でも覚え、天才かと思っていま
したが、いまの姿を見たら、それが親の幻想だったとわかります。
それはともかく、この前は、着物の様なパジャマに腰ひもを付け、
小さな袋をぶら下げて、刀を担いで「うつけもの」だといってい
ました(信長の幼少の呼び名)。面白いことを考えます。
彼の誕生日プレゼントは、母方のジージは忍者衣装、私は手裏剣
と刀の忍者セットを頼まれました。でもなんで忍者?
私を見ると切りかかってくるので、うちに昔からある竹光の刀を
持ち出し、孫とチャンバラをして刃に傷を付け妻に呆れられました。
遊びのレベルは孫と同程度です。
写真を見て、見よう見まねで新聞紙で兜と刀を造ってました。
以前史跡にあった、記念撮影用のプラ板に印刷した鎧よりよく出
来てました。刀も紙なのでフニャフニャですが、ちゃんと鞘に収
まります。
ところでもう5月。先日端午の節句の用意をしました。といって
も、鎧兜は45年前の長男の物、五月人形は70年前の私のです。
70年前といっても、一寸法師(?)が引きずってる小づちなど布の
剝がれはまったくなく新品のようで、むかしはていねいに作って
いたのだと感心します。
鎧の中の支え棒はすでに壊れているので、缶ビールを重ねて被せ
ています。技術がいるので毎年組み立てはジージの役目。
そういえば私の記憶では、むかし瀬戸で出来た大きな兜がありま
したが、どこにいってしまったのか。
小さい頃は実家に大きなこいのぼりがあって、庭に高い棒を立てて
鯉が空を泳いでいました。最近は実家の方でも少なくなりました。
屋根裏に、長男が子どもの時買ったの鯉のぼりを発見。
買ってすぐ、間違ってリフォーム業者にポールを持っていかれ、
上げられずにきれいなまま残っていました。
実家でもポールを立てるのは無理なので、横に紐(ランケーブル)を
渡し、高所作業車で孫と一緒に鯉を吊るしました。
