私の交友録

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交友録というほどのものでもありませんが、74歳になっても(先日
成り立て)付き合いのある友人が沢山います。
同業経営者グループ、大学友人グループ、大学自動車部グループ、
高校友人グループ、+高校の同級生1人です。
社交的とはいえない私ですが、今でも付き合いの長い友人がいる
のはありがたいです。

 

同業経営者グループ (役職としてはほぼ現役)
歴史の長い家庭薬はほとんどが同族企業で、同業社とも仲がよく、
経営者同士も親しいのが特徴です。それは自社製品がバッティング
しないからかもしれません。
父親の世代が仲よかったもので、その息子たち(私)も自然に集まり、
またその息子たちも仲がいいのです

 

いまの経営者グループは、35年ほど前に当時の若手が作った会。
私はすでに社長になっていましたが(36才で就任)、他の人はまだ専
務か常務といった感じでした。
初代会長はなんと私で、設立して数年で会員は10社となりました。
メンバーは皆さんがたぶんご存じの有名家庭薬メーカーです。

 

勉強会を開いたり、他業種の工場を見学したり、共通の悩みを相談
したり、たまに旅行にも行ったりして懇親を深めてきました。
そして数十年がたって みんな70歳前後のおじいさんになり、社長か
会長になりました。その間、亡くなったり病気でリタイアされた方
も含め3人が退会し、現在は7社になってしまいましたが、いまでも
楽しく集まっています。

 

大学友人グループ (2人現役、3人リタイア)
私が薬科大学に在籍していたとき、同級生の中に偶然父親も同じこの
薬大で同級生だったというのが3人いて(私を入れて4人)仲よくなり
ました。そこに他の友達も加わり、多いときは10人ぐらいでスキー
に行ったりしていました。

 

地方から来ていた人が多かったので、卒業すると集まる数も減りま
したが、毎年スキーとか旅行に行っていました。
いつしか各地から6人が集まって秋に旅行に行くのが定番になり、
それ以外にも全員ではないけど、冬はスキー、夏はゴルフと、歳を
重ねるごとに会う回数が増えました。

 

その後、スキーをアテンドしてくれていた長野の友人がスキーから
足を洗ったのでスキーがなくなり、私がゴルフを引退したのでゴルフ
もなくなって、夏は栃木で集まるだけになりました。秋の旅行は毎
年全員で行き、わざわざ札幌から楽しみに来る友人もいました。

 

しかしそのうち2人が亡くなり、いまは4人になってしまいました。
でも、個人的にはまだスキー、ゴルフをよくやっているのがいて、
元気な高齢者たちです。

 

大学の自動車部グループ (私以外は全員リタイア)
同じ大学の同級生ですが、こちらは自動車部の仲間。自動車部と聞
くと派手な印象かもしれませんが、薬大の自動車部なんて地味な
ものでした。

 

当時の大学は男子部が大久保、女子部が上野と離れていました。
私は小学校から高校まで男子高で、大学まで男だけとは地獄の青春。
女子と会えるのは部活のみです。でも、自動車部に入った動機は
純粋に車が好きだったからです。ホントです。

 

しかし入部はしたものの、理不尽な上級生に我慢できず、一年生の
ほとんど全員が飛び出して新しい部を作りました。なので我々には
先輩も後輩もいなく、余計に結束が強まりました。

 

自動車部だけあってみんな車好きで、車で東北や九州などいろいろ
な所に遠征に行きました。とくに男子は卒業しても暇があれば集まっ
てドライブに行っていましたが、地元に帰る人もいて、いま会える
のは東京の3人だけになりました。

 

最近はもっぱら栃木の実家に集まっていますが、グループLINEを
始めたので、離れて何年も会っていない友人たちと近況を話せるよ
うになり、たまにZoomで飲み会もやるようになりました。

 

車好きにとっては、車は単なる移動手段ではなく、運転を楽しむ
趣味のようなもの。だからみんな運転が好きで自動運転は嫌いです。
短い期間でしたが先輩から学んだのは、「安全に、快適に、速やか
に移動する」。だから、停まるときのブレーキと、滑らかなアクセル
ワークは今でも気をつけています(同乗者に褒められます)。

 

高校友人グループ (3人現役2人リタイア)
彼らとの付き合いは去年から。久しぶりの同級会がきっかけになり
ました。もともとあったグループに入れてもらった感じですが、70
歳過ぎて友達ができるとは思いませんでした。

 

高校の同級生といっても、わが母校暁星は小中高一環なので、小学
校から一緒だった級友と、中学、高校から編入してきた級友とでは
思い出も様々。なにしろ60年も前の話ですから記憶もあいまいで、
級友の名前が出ても半分は思い出せません。卒業アルバムをとって
おけばよかった。

 

クラスは大学の志望校に分かれ、A・Bが私立の文科系、Cが私立の
理科系で、Dが国立でした。D組卒の人たちの話は難しく、話はA・
B・C卒の方が面白い(このグループはAとC)。
大学の友人たちと違い、仕事は歯科医師、スポーツメーカー、外車
ディーラー、編集者と多岐にわたるので、話の枠が広いです。

 

小・中・高とフランス語を学び、フランスで受験したとか、仕事に
役立ったとか聞きますが、私なんてフランス国歌が歌えるのがせい
ぜい。フランス国家は、君が代と一緒に学期の始業と終業の2回×
3期×12年の72回、練習も入れれば100回ぐらいは歌っているので
アカペラでも歌えます。でも意味は知りません(フランス革命の歌ら
しいです)。ちなみに、暁星はキリスト教系の学校ですが、この
グループの中でカトリック信者はゼロでした。

 

もう一人、暁星の友人がいます。小学校から同級で、よく家に遊び
に行ったり来たりして一緒にプラモを作っていました。中学以降は
別々のクラスになり、彼は例のD組へ。社会人になってまた会うよ
うになりましたが、彼とは趣味が近いので話が通じます。でも、
D組の彼の友人たちの話はちょっと高尚すぎて難しいです。

 

そして、このグループにだいたい共通しているのは、お酒を飲まない
私が運転手をするということです(苦ではぜんぜんありませんが)。

 

以上が今でも交友のある人たちですが、妻が友人が沢山いて羨まし
いと言っています。妻の中学からの一番の親友がパーキンソンになっ
てしまい、会いに行っても妻のことがもうわからないと嘆いてます。

 

みんな歳だから多少具合の悪い友人もいますが、今でも元気で会え
るのは幸せです。

 

 

 

 

 

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