今回の旅行の一番の目的は、前から行きたかった奥入瀬渓谷。 本当は紅葉のときがいいのですが、かなりの混雑が予想されるので、 今回は早めに行くことにしました。当初は奥入瀬・十和田・八甲田山 あたりを回る予定だったのですが、また悪い癖が出て、どうせなら男 鹿半島・角館・いや、乳頭温泉も行ってみたいと、盛りだくさんになっ てしまいました。 前回、福井に行ったときはレンタカーを借りずに懲りたので、今回か らまたレンタカー復活です。 例によって旅番組を収録したDVDを見て旅館や見所を研究し、結局、 秋田空港から乳頭温泉→角館→男鹿半島→奥入瀬→十和田湖→ 八甲田山→青森空港という2泊3日の日程に決まりました。 初日のスケジュールが非常にタイトなので、乳頭温泉に行く・行かな いで途中までもめました。しかし、道路状況が非常によく、予定より1 時間も早く着きそうだったので、やっぱり行くことに。 そこは山奥の秘湯という感じですが、すでに観光化され、けっこう人 が来ています。男性用、女性用の内風呂があって、隣は混浴の露天 風呂。最初内風呂に入ると、乳白色のこれぞ温泉って感じでしたが、 あまり硫黄の匂いはしませんでした。 風呂から上がって露天風呂に行くために服を着ようとすると、そこに いた2人(相手はどうも取引先の社長)が、「社長 !露天風呂に脱衣場 がないので、ここで脱いでいきましょう」と、手拭いで前を隠し外に飛 び出して行きました。エ~ッ!完全に外なのに ? しかも人混みの中 を行かなくてはなりません。まさかと思って隣にいた人に聞くとやっぱ りそうらしい・・・ しばらく躊躇してましたが、せっかく来たんだし旅の恥は掻き捨てと、 意を決して2人のあとに続きました。外にいる人たちの中を突っ切り、 露天風呂に突進。へたをすれば軽犯罪法違反です。 でも、恥ずかしさを我慢してきた甲斐がありました。風呂の底には砂 利が敷き詰めてあり、あちこちから湯が湧き出ています。白骨温泉 のようにヌルヌルした体積物がなく、気持ちのいい露天風呂でした。 露天風呂のそばに小屋がありました。なんだろうと覗いてみると、な んとそこは脱衣場 ! 「なんだ、脱衣所あるじゃないか」。冷静に考え れば、混浴なのだから女性はどうするんだって話しです。 そう気づくと急に恥ずかしくなり、今度は帰るに帰れなくなりました。 しかしいつまでも入っているわけにもいかず、人が途絶えた一瞬にダ ッシュ。まるで「どっきりカメラ」です。あの取引先の社長を全裸で走ら せた社員は、いまごろへき地の支店に飛ばされているかなぁ。 この人だかりの中を全裸で疾走。 家内は3つの風呂をハシゴして湯あたり。あんなに行くのを渋っていた くせに・・・。その後角館に行ったのですが、すっかりグロッキーとなり、 武家屋敷街を歩いて探索する予定が、人力車に乗って回りたいと言い 出しました。しかしあいにく出払い中。待っていようかと思いましたが、 カーナビの目的地到着時間が18時半。仕方なく車で通るだけとなりま した。保存された屋敷街は、津和野や倉敷に比べてかなりの広さがあ るようです。今度は桜の季節に来たいな。 旅館到着が18時半と知ってあわてましたが、途中で表示が15時に 変わりました。カーナビの誤作動だったようです。だったら人力車の帰 りを待っていればよかった・・・ このポンコツカーナビには後々も悩ま されます。逆に今度は時間が余り、途中でナマハゲ館を見ることにし ました。ここの圧巻は各地で異なる60体のなまはげが展示してある こと。あと、なまはげの格好をして写真も撮れます。 われわれ夫婦の写真を初公開(多少実物と異なります) 隣接する伝承館では、移築された古民家の中でなまはげの再現劇が 催されていました。100%秋田弁なので半分ぐらい意味がわかりません が、なまはげが「おまえの長男の〇〇は遊んでばかりで勉強しないら しいな」とか、「嫁の〇子は働きが悪いらしいな」とか、やたら家の事情 に詳しいのです。バリバリの個人情報を知っているということは、あるじ が言いにくいことを、間接的になまはげに言ってもらうことで軋轢をなく すという先代からの知恵なのか・・・ 通り沿いにあった「なまはげ直売所」 なまはげが売っているんだか、なまはげを売っているんだか・・・ 今日の宿は、男鹿半島の戸賀温泉。余談ですが、恥ずかしながら最 近まで、男鹿半島をオジカ半島と読んでいました。ネットで検索しても 出てこないはずです。小高い岡の上にある見晴らしのよい旅館で、テ レビで紹介されたのはモダンな新刊でしたが、満室で我々は古ぼけ た旧館。料理は値段相応で、露天風呂からの景色は最高でした。 翌日は、十和田湖経由で奥入瀬を目指します。この日の天気は、青 い空と黒い雲が入り乱れ、晴天と豪雨が繰り返される不思議な1日 でした。途中寒風山に登ると、眼下に八郎潟が見えました。私が子供 の頃の地図帳には、半島の根元に大きな入り江がありましたが、いま ではな残りの池があるだけです。 国道を走っていると、「蟹工船」の作者小林多喜二とハチ公の生家の 案内図を発見。迷わずハチ公の生家に行くことに。しかしこの先に看 板が一つも無く、人に聞き聞きやっと探し当てました。ここまで来る観 光客は変人かマニアでしょう。こんな片田舎で生まれたのですね。 生家の前のハチ公の碑。お母さんの名はゴマだそうです。 生家は普通の家でしたが、普通でないのが前の公衆トイレ。これを ハチ公の碑と勘違いしている地元の人がいました。 途中、比内鳥で有名な比内町を通りました。急に親子丼が食べたく なりました。比内鳥料理と書いてある店を見つけましたが、駐車場に 車がいっぱい。家内が混んでいるから嫌だと拒否しました。その店を スルーしたのが運の尽き。その後、国道沿いなのに食事処がまった くなく、私はだんだん不機嫌に。結局、お昼を食べたのは、そこから 1時間たった十和田湖でした。しかし、ホテルで食べたランチがまずく、 私の不機嫌は最高潮に達しました。 つづく ]]>