先週末、浅草の三社祭が盛大に行われましたが、45年ぐらい前に
浅草に行って神輿を担いだことを思い出しました。
当時友人の実家が浅草にあり、神輿を担がせてくれるということ
になって、4人でお世話になりました。といっても三社祭とは町
内が違い、同日に行われた隣の町内の祭りの神輿です(他の人には
三社祭で担いだと言い張ってますが)。
友人は、小さい頃から実家の前を通る三社祭の宮神輿が羨ましかっ
たと言ってました。
当時、たしか浅草の大通りに神輿を作っていた店があり、さすが
浅草だと思っていました。
友人の母上は下町育ちで、祭りには気合が入っていました。
われわれのために、町名が入った祭りの半纏(はんてん)を用意し
てくれてました。この半纏を着ていないと神輿は担げないのです。
早朝行われる三社祭の宮出し(神輿を境内から担ぎ出す)を見に行
くので、前の晩友人の実家に泊まらせていただき、夜遅くまで
騒いでました。
翌朝6時前に母上に起されましたが、みんな眠くて起きれない。
誰かが「今日は行くのやめます」と言うと、「なに言ってんの!」
と怒られ起されました。
朝早いのに、鮭の塩焼きとか正しい日本の朝食を作っていただ
きました。
宮出しの見学者は凄い人でした。宮神輿が出てくると熱気と興奮
は最高潮。いまは禁止されてるようですが、神輿の上に入れ墨を
した人が数人立って音頭をとっていました。
興奮冷めやらぬままに家に戻り、今度は神輿を担ぐ支度。
上は半纏に祭り用の腹掛け、足は足袋にわらじで、なんか気が
引き締まるいい感じでした。
友人から借りた写真(顔は加工しています)
出発地点の番所に行き、いよいよ神輿を担ぐことに。
一つの神輿に30人ぐらいの担ぎ手がいて、女性も数人いたような
気がします。一斉に担いで肩の上に載せるとめちゃくちゃ重い。
そして動き出すと神輿が上下するので肩に当たって痛いのなんの。
宇津薬師堂の一万燈祭で保育園児が神輿を担いだときは、かわい
くほほえましかったですが、こっちはみんな殺気立ってる感じ。
そんなに大きくない神輿を30人で担ぐので、もうギュウギュウで
押し合いへし合いです。どっちに行くのかもわからない。
へとへとになって担ぎ終わると、肩が真っ赤に腫れていました。
昔のかごの担ぎ手とかは大変だったことでしょう。
その後の記憶がなく、一緒に行った友人への聞き取り調査では・・・
「浴衣を着て観音様にお参りに行った」とか、「母上の手料理を
父上の説教付きでいただいた」とか(薬大の大先輩でした)。
ご両親の顔を思い浮かべながら、下町の人情に触れた思い出でした。