あっという間に74歳になって、気が付いたら亡くなった父の歳
をとっくに越えていました。歳を感じるわけです(気持ちは50代
ですが)。
父は69歳で亡くなりました。当時はずいぶんおじいさんに見え
ましたが、その父よりも更に5年も年取るなんて・・
私は36歳で社長になり、父の代わりに業界の理事会に出席する
こともありました。当時の各社の社長さんたちは父と同じぐら
いの年齢で、おじいさんの渦の中に若い私が一人。
みなさん戦争に行っているので声も大きく迫力があり、背筋を
ぴんと張って威厳があり、ちょっと怖かったです。
そしてみんなタバコをプカプカ。会議は霧の中でした。
その理事会も次の世代(我々)がもう年寄りになり、息子の世代
に変わりつつあります。知合いの理事も出席が少なくなり寂
しくなりました。
父の話に戻します。
若い頃の父は優しく、小学校低学年の時は電車で小学校まで
送ってくれました(家が遠く会社が近かったので)。
学校の近くまで来て気分が悪くなったときは喫茶店に連れて
いかれ、困った表情で龍角散を飲まされました。
父の必携品は、龍角散と仁丹とメンソレータム。いつも仁丹
の匂いをさせ、唇にメンタムを塗っていました。
学校の帰り、よく2人でいろんな映画を見に行きました。
たぶん父は会社をさぼって来たのでしょう。兄弟の中で連れて
行ってもらったのは私だけなので、特別感がありました。
むかしはオモチャもめったに買ってもらえず、大物はせいぜい
誕生日かクリスマスプレゼントでした。デパートのオモチャ
売場にあったラジコンの車が垂涎の的でしたが高嶺の花。
それがある年のクリスマスに買ってもらえることになり、狂喜
乱舞しました。
二階の窓からデパートから帰ってくる両親をずっと見て待って
いました。そんなワクワク感はいまの孫たちにはないでしょう。
ちなみに、せっかく買ってもらったラジコンカーですが、アメリカ
製で説明書がなく、ついに最後までちゃんと運転することが出
来ませんでした。いまと違い、ボタンを押す数で前後左右に動
いたようですが、子供にわかるわけありません。
中学ぐらいになると父のフレンドリーさはなくなり、一緒に出
かけることもなくなりました。
でも勉強を教えるのが好きで、勉強嫌いの私をつかまえ、よく
勉強を教えていました。私は姉と弟の3兄弟でしたが、いつも
つかまるのは私だけ。
自分は薬剤師だったので、私も薬剤師にしたかったのでしょう。
でもあとで知ったのですが、父の時代は戦争で薬剤師国家試験
が免除だったそうで、父も大きなことは言えないです。
薬剤師国家試験のとき、私の受験番号は606番だったのですが、
父はそれを見て「縁起がいい」と言ってました。なんでなのか
聞いても教えてくれず、あとで母に聞くと606は梅毒治療の特効
薬サルバルサンの番号だそう。「それって縁起がいいの?」
合格発表は新聞に名前が載ります。父は私の番号を見つけ、喜
んでいました。サルバルサンのおかげかな?
家では無口でえばっていて、よく母を怒鳴っていましたが、酔っ
払うと上機嫌になり、たまにお札を撒いて(ただし小額紙幣)われ
われ子どもたちは争って拾いました。
もう一つ機嫌がいいときは、ファンだったヤクルト球団が勝っ
たとき。国鉄時代からのファンで、いつもラジオをイヤフォン
で聞いていました(お客さんと食事をするときも)。
負けると最悪ですが勝つと上機嫌になるので、何か頼むときは
ヤクルトが勝った翌日が狙い目でした(私が会社に入ってからも)。
お酒は強くないけど好きで、毎晩遅くまで外で飲んでいました。
日本酒が好きで、飲む場所ももっぱら和風。会社に入ってから
私もお供でお座敷に行きましたが、酔うと陽気になって冗談を
言い、家では出さない一面を見せてました。
ほんとは私と二人で酒を酌み交わしたかったかもしれませんが、
なにしろ私は下戸なもので・・・
祖母の影響か歌舞伎が好きで、よくトイレで勧進帳のセリフを
唸っていました。長唄、小唄もたしなみ、父が亡くなったとき、
父の友人が「彼は最後の粋人だった」と言ったのを覚えてます。
私の妻も子供たちもかわいがってくれましたが、いま私が孫を
かわいがっているほどではなかったです。
京都は好きでよく行っていましたが、それ以外は行動範囲が狭
かったです。なにしろ飛行機が嫌いで、生涯一度も飛行機に乗り
ませんでした。海外旅行はもちろん、本州から出たことがなかっ
たかも。
父に逆らったのは1度だけ。社運をかけ新製品を出すべきだと
進言し、父と大喧嘩をしました。結局父が折れ、それが大成功
して初めて私を認めてくれたような気がしました。
父の反面教師で、私は息子たちにフレンドリーに接してきまし
たが、それがよかったのか悪かったのか。今でもわかりません。
父が亡くなったとき、勲章を頂きました。
葬儀には沢山の弔問客が訪れ、きれいどころ(昔の)がぞろぞろ
とお焼香に来たのには一同唖然。
まあ、それはともかく、初めて父の大きさがわかりました。

