むかしは、肉といえば豚肉か鶏肉。私が子供のときは、牛肉なんて存在すら 知らず、ご馳走といえばトンカツでした。あるときテレビを見ていると、芸人が 何やら肉の付いた棒を持って、美味しそうにかぶりついてました。母に聞くと、 あれは鶏の骨付きのもも焼きだと言います。それ以来、誕生日やクリスマス の御馳走は、鶏のもも焼きとなりました(ある意味最先端?)。その後、家で 牛肉が食べれるようになると、すき焼きがご馳走の主役となりました。 すき焼きが自宅で食べれるようになったのは、たぶん小学生の高学年のころ。 それも、滅多に食べることができなかったので、「今晩はすき焼き」なんて言 われたら、もうお祭り騒ぎ。昔のサザエさんの漫画にも、たしかそんなシーン がありました。 私が試験勉強中、母が夜食にすき焼きの残りを温めて持ってきてくれました。 煮詰まったすき焼きの味と、母の気遣いが最高に嬉しかった。それ以来すき 焼きのときは、夜中にもう一回食べるというのが定番に。もっとも、若い時だ けですが・・・。すき焼きの黄金時代はしばらく続き、お客さんや家族が集まる ときの御馳走は、たいていすき焼きでした。まだ牛肉が高かった時代です。 すき焼きの食べ方は、家によって様々あるようです。大学時代、友人たちが 家に遊びに来たとき、母がすき焼きにしてくれました。うちの常識では、肉は 少しづつ入れ、煮ながら食べるもの(ふつうはそうでしょ?)。ところが友人の 一人が、肉は最初に全部入れて煮るものだと、鍋に全部入れてしまいました。 当然肉は固くなり、他の友人たちから大ブーイング。危うく乱闘騒ぎに。 いまでも彼とは付き合ってますが、それ以来すき焼きだけはしないです。 それはお店でも経験しました。ある肉料理店に行って、ランチのすき焼きセット を頼んだのですが、中居さんがやはり肉を全部入れてしまったのです。 アルバイトの女の子だったのでしょうが、マネージャーが飛んできて注意。 でも、料理は替えてくれませんでした。 すき焼きの原点はいろんな説がありますが、明治の初めに、横浜で食べられ た牛鍋が元祖という説もあります。当時は牛肉の質が悪かったので、猪鍋の ように味噌でくさみを消したのだとか。いまでも当時の鍋を食べさせる老舗が ありますが、味噌といってもしょっぱくなく、まるでビーフシチューのようです。 そういえば、その鍋は最初から肉が全部入ってました。前記の友人の食べ方 は、明治時代の風習の名残り? 横浜の牛鍋。味噌らしくない味噌がミソです。 関東と関西でも食べ方は違います。関東では最初から割り下を入れて煮ます が、関西ではさっと焼いた肉に砂糖をまぶし、醤油をかけるというもの。 うちでは、最初は関西風で食べ、あとで関東風にして食べてます。玉子は色 が茶色く染まったら替え、必ず2個使用。すき焼きに関しては、鍋奉行以上 の鍋将軍です。 焼いてタレをかける関西風。あくまで「風」です。 すき焼きに合う飲み物はビール? 私はもっぱらノンアルコールのウメッシュで す。コーラのように甘くないので、ご飯のときでも大丈夫。 すき焼きを食べると、食後に喉が乾きます。その渇きを止めるには、水分より もアイスクリームが効果的。いまは、グリコの「牧場しぼり」がお気に入りです。 100円でこのクオリティーは驚異的。アイスミルクでなく、アイスクリームという のもすごい。ただ、あんまり売っていないので、探すのが大変です。 しゃぶしゃぶが一般的になったのは、だいぶ後のこと。それも、家で食べれる ようになったのは、さらにずっと後のことです。たぶん、卓上型コンロの普及も あったでしょう。私の亡くなった祖母などは、たった一回行ったハワイで、初め てしゃぶしゃぶを食べたという偉人です。 私はしゃぶしゃぶも好きですが、どちらかといえばすき焼き派。キャリアが違 います。子供が小さいとき、家族の中ではしゃぶしゃぶ派が優勢でした。ある とき長男が「すき焼きなんて嫌だ」とダダをこね、怒った私は長男を椅子から 引きずり下ろし、玄関まで引きずって行きました。家内は、私が「よくもすき焼 き様の悪口を言ったな!」と口走っていたと言うのですが・・・ そのスパルタ教育のおかげで長男も改心し、いまでは立派なすき焼き派。 私はタレにはこだわりがあります。すき焼きの割下は今半、じゃぶじゃぶの ゴマだれはエバラと決めてます。 肉は、近所の丸正が御用達。肉屋さんが母体なので、いい肉が安く買えた のです。ところが、近くに大型スーパーができたため、3月いっぱいで閉店と なってしまいました。家内はショックでガックリきています。家内の誕生日に お祝いのハガキをくれる唯一の店だったのに・・・ いまは魚よりも肉の方が安い時代。幸せなのかどうなのか・・・ ]]>