007の第一作、「Dr.No」(邦題は「007は殺しの番 号」)は、私が小学5年生のときに公開されました。 当時は上映されたことさえ知りませんでしたが、シリー ズ化されるようになり、中学生のころには友人たちの 間でも話題になってました。 しかし、当時としては過激なラブシーンがあるとして、 親から見に行ってはいけないと言われてました(同じ 歳の家内は中学時代に見たそうですが・・・)。 その代わりに小説を全部読んだのですが、原作の方 がずっと過激でした。 ちなみに、今でこそ「ダブル・オー・セブン」と呼びます が当時は「ゼロゼロ・セブン」、父は「ゼロ・ゼロ・ナナ」 と呼んでました 原作では話しがつながっていて、「ロシアより愛をこめ て」で女スパイに毒針付きの靴で蹴られて入院し、そ の病院で会った患者が「サンダーボール作戦」のカギ を握っていたとか、「女王陛下の007」で結婚した妻 を殺され、傷心を癒すために日本に派遣されたのが 「007は二度死ぬ」の始まりとか・・・ 高校に入って007映画を見るのが解禁となり、最初 に見たのは4作目の「サンダーボール作戦」。なんと 見ちゃダメと言っていた母親と見に行きました。 その派手なアクションとテーマ音楽、スマートな内容 に魅せられ、私だけ2度見たのを覚えています。 すぐに他の作品を見たくても、レンタルビデオなど無い 時代ですから、二本立ての再上映とかを探しては見 に行ってました。 そんな時代なので、テレビで放映されるのも楽しみで した。ただし、2時間の映画を実質1時間半に編集し ているので、内容はメチャメチャ(当時は編集もヘタ)。 また、新作が上映される前に必ず「007のすべて」み たいな特集をやるので、テレビにかじりついて見てい ました。 男の好きなアクション・車・女性の3要素を備えた007 シリーズは大ヒット。それにあやかって洋画、邦画、 テレビドラマを問わずスパイものが氾濫し、当時は3 S(スリル・スピード・セッ〇〇)映画と呼ばれました。 男の子はみなボンドにあこがれ、モデルガンを買って スパイになりきりました。 録画の手段がなかった時代、せめて音だけでもと映 画館にオープンリールのテープレコーダーを持ち込ん で録音したり、フラッシュで写真を撮ったつわものもい ました。悪用するなど考えたことも無いいい時代。 ジェームス・ボンド愛用 ワルサーPPK 映画は「つりバカ日誌」なみに22本作られましたが、 原作に近いのは3作目ぐらいまで。その後秘密兵器 やら奇想天外な内容が売りになり、ついに原作と一 緒なのはタイトルだけという状態に・・・ もっとも、原作は地味なスパイ活動の話しですから、 原作どうりに作っていたらこんなに長くは続かなかっ たでしょうけど。 ボンド役もいまのダニエル・クレイグで6人目。 いろいろな人が演じましたが、やはり私の中でボンド といえばショーン・コネリー。ウエットスーツを脱ぐと白 いタキシード(防水加工?)に胸に赤いバラ。 これぞジェームス・ボンドです。 逆にイメージを悪くしたのはロジャー・ムーア。まあ、 彼が悪いわけではないのでしょうが、あのオチャラケ がボンド映画をダメにしました。 原作では、ジェームス・ボンドはハンサムではなく、 無口でほとんどセリフもなかったような・・・ また、原作では敵対するのはソ連の諜報機関でした が、映画では国際関係を考慮してか、最初から国際 謀略組織(スペクター)となっています。 派手なアクション映画が他にも作られるようになると、 ボンド映画の魅力も半減し、さら拍車をかけるように 内容が荒唐無稽化して宇宙まで行くハチャメチャぶり。 話しがとんでもないところまで行きつくと、反省するの か原点回帰が起こります。それが何度か繰り返され、 もっとも原点に戻ったのが前作の「カジノ・ロワイヤル」 です。 じつは、「カジノ・ロワイヤル」の映画化は二度目です。 007をシリーズで映画化しようとしたとき、「カジノ・ロ ワイヤル」だけを他の映画会社に取られてしまい、デ ビッド・ニーブン、ピーターセラーズ競演で映画化され ました。それがドタバタのコメディー映画で、見に行っ て憤慨して帰ったのを覚えています。 原作の第1作もカジノロワイヤルで、設定も原作に近 いことから、もしかしたら最初からすべてリメイクされる のではと密かに期待しています。ちなみに「慰めの報 酬」は原作になく、カジノロワイヤルの続編なので、前 作を知らずに見に行った人はチンプンカンプンだったそ うです。 007シリーズは、レーザーディスクやビデオなどでバ ラバラにコレクションしていました。最近、解説書付き のDVDが書店で売られるようになりました。さっそく 第一弾の「ゴールドフィンガー」は買いましたが、セット で買うかどうか悩んでいます。 ]]>