家庭内国交断絶

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こどもが大きくなると、だんだん親に反発するよう になり、特に女の子は父親に嫌悪感さえ抱くこと もあるとか。 我が家の場合は全員男の子だったので、そこま ではなかったのですが、Aは何かをきっかけに私 とまったく口をきかなくなりました。 うちは以前、祖父母、両親と同居をしており、A は小さい時から、ひいおばあちゃんに特に大事に 育てられていました。 Aが小学校3年の時、祖母が病気のために入院 しました。89歳の誕生日前にこん睡状態になっ てしまったのですが、それでもAは、外が真っ暗 になるまでプレゼントを探しに自転車で奔走し、 家族の涙を誘いました。 そんな優しかったAでしたが、高校生になると生 意気になり、何がきっかけかわかりませんが、私 とまったく口をきかなくなったのです。 交流のなくなった息子を、私は「北朝鮮」と呼んで いました。何かを伝える時は家内を通じてなので、 家内は国際赤十字のようでした。 そんな息子と国交回復をしてきたのは、18歳に なって車の免許をとりだしたころです。 私は車の運転が好きで、先に免許をとった息子 にいろいろ教えたり、車の話をしていたもので、 このまま鎖国をしていても得策ではないと本人 も思ったのでしょう。 車の話しがきっかけで、それからよく話しをする ようになり、運転を教えてあげたり、二人でドラ イブに行くようにもなりました。 趣味が効して親子の断絶を切り抜けられました。 ]]>

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