ホンダ車はオートバイ店で売っていた ?

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免許を取れば運転がしたくなります。 といっても軽免許は軽自動車限定なので、レンタカー にも軽はなく、遠くに住む知り合いの所にわざわざ行 って、借りて乗っていました。 そうこうしているうちに、友人が軽自動車の人気No.1 だったホンダN360を買ってもらいました。 当時みんなの憧れだっただけに、乗せてもらうたびに とっても羨ましく思ってました。 私が宇津家の免許取得第1号だったので、当然うち には自家用車はなく、車の便利さを父に説いたので すが、父は社用車を使っていたので聞く耳を持ちま せんでした。 そこで、車獲得の作戦を画策しました。 まず、ターゲットを甘かった祖父に変更し、祖父を味 方につけました。同時に、いかに車があると便利か というポスターを作りました。「家族みんなの送り迎 えをします。」という心にもない条件も付けて。 さて、そのポスターをどこに貼るか?そこでひらめい たのが、いつも父が長居をするトイレの壁でした。 それが効をそうしたのか根負けしたのか、祖父の バックアップもあり、苦節1年、夢であったホンダN 360を買ってもらうことになりました。 後日、この話しを聞いた私の子供らは、頼みがある たびに紙に書いてトイレの壁に貼っていました。 今やトヨタに次ぐ大自動車メーカーになったホンダで すが、当時はオートバイメーカーに毛の生えた程度 で、初めて軽乗用車を出した時でした。普通乗用車 を発売したのはそれから2年後ぐらいです。 それでも性能は他の軽自動車よりもすぐれており、 いまのホンダの片鱗を見せていました。 ですから、今では信じられない話しですが、販売や 修理は街のオートバイ店がやっていました。 家族と車を注文に行って、さえないオートバイ店の オヤジさんの対応に不安になったのを覚えています。 納車の日。 いまかいまかと二階の窓から外を見ていると、白い ちっちゃな車がやってきました。あわてて玄関から 出てお出迎え。 すると、ピッカピカの新車から、汚いつなぎを着たオ ヤジさんが降りてきて、ちょっとテンション下がりま した。 説明を聞きながら車を眺めていると、ついほほが緩 んでくるのがわかります。こんなに感動したのは家 内と結婚した時ぐらい・・・あ ! このフレーズはこの前 使いましたね。 今から思えばちゃちな内装だったと思いますが、そ の時は自分の城の様な豪華な感じがしました。 うれしさのあまり1日車から離れず、その日は車内 に泊まりました。 装備はラジオ以外、クーラーはもちろん、カーステレ オ、シガーライターなどカタカナのつく装備は一切あ りません。ヘッドレストもなく、シートベルトもオプション だったような気がします。 性能はいいのですが故障も多く、ワイパーが外れた り、バッテリーケーブルが切れたり。 アクセルが戻らなくなった時は、切れたスプリングの 代わりに、はいていたパンツのゴムを使って応急修 理をしました。教習所でならった構造の授業も無駄 ではありませんでした。 こよなく愛した愛車に、ある夏の日事件が。 家族で行った伊豆の帰り、母だけを乗せて東名高 速を走っていました。 当時の軽の制限速度は80キロでしたが、生意気 盛りの当時、他の外車と競争をして120キロぐらい で走っていました。当時の排気量は360cc(現在 は660cc)、しかも空冷のエンジンが持つわけあり ません。 川崎のインター手前でエンジンから白い煙が噴出 してそのままストップ。路肩に停めて救援を要請し、 牽引されて川崎の修理工場にピットイン。 真夏の炎天下で長時間待っていたもので、伊豆 で買ってきた大量のサザエや魚が腐ったと母に メチャメチャ怒られました。 そんなわけで、ホンダN360は私の青春の1ページ を飾りました。 ]]>

歴史の重み