3丁目の夕日

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この映画がヒットしたのは、映画のストーリーもさることな がら、やはり団塊の世代の人たちのノスタルジーでしょう。 私は団塊の世代よりも若干若いのですが、映画の設定の 昭和34年には8歳だったので、前作も含めて懐かしい場 面がいろいろ出てきます。 特に印象に残ったのが、前作の家に初めてテレビがくる シーンで、テレビや電気冷蔵庫の出現は、生活まで変え る革命的なできごとでした。 それまでの冷蔵庫は木製で、氷屋さんがリヤカーで氷を 運んできて、ノコギリで切って入れていきました。 当然氷は2~3日で溶けてしまいます。ですから冷蔵庫 というよりは、保冷庫といったほうが適切かもしれません (テレビについては次回特集で)。 私が小さいころ、田舎にあった電話はまだ交換台を呼び 出すタイプでした。 電話をかけるときはハンドルを廻して交換台を呼び出し、 番号を告げると一度受話器を置いてつながるのを待って います。急ぐ時は交換台に[至急」と告げるとすぐにつな げてもらえますが、たぶん特別料金をとられたのでしょう。 電話も各家庭にはなく、電話のある家は近所の人に貸し てあげたり、「呼び出し」といって近所の人にかかってきた 電話を取り次いであげたりしていました。友人によると、 当時の電話帳には、呼び出しの家は「呼」と書いてあった そうです。 とにかく近所の人はみな親切で、いまのように隣の人に 殺されたり、嫌がらせをされたりする殺伐とした時代では 考えられません。 家の周りに住んでいる人はほとんど顔見知りで、お店に 行けば「どこどこのぼうや」とみんな知っていました。 映画のなかの登場人物のように、お節介な人がいたり、 事情通がいたり、おしゃべりな人がいたり・・・でも人情 があって、それで街の秩序も保たれていました。 話しは映画に戻りますが、この映画は模型好きにも見所 があります。 大阪に行く列車の「こだま号」とか、アメリカに飛び立つ 飛行機は一部模型で、CGとの組み合わせでほとんど本 物と見分けが付きません。飛行機にいたっては、わざわ ざアメリカまで行って、実在する現役の飛行機の音を録 音して来たとか。 最近の映画は洋画の影響(制作費のケタが違いますが) か、リアリティーを追求し、当時の場面が細かく再現され ています。いま上映中のインディー・ジョーンズなどは、 CGもセットも使わず街ごと1950年代に変えてしまって いました(内容は???でしたが)。 そこまでして、やはり印象に残る映画は作られるのでしょ う。 ]]>

続・郷愁  追記