10月17日は、薬祖神のお祭りでした。 薬祖神とは薬の神様で、祭典は明治41年から続い ているそうです。現在神社は、日本橋にある6階建て のビルの屋上にあります。 昭和29年に地元のお祭りとするために薬祖神奉納 会が結成され、新薬大手から家庭薬まで、東京にあ る製薬メーカーのほとんどか参加しています。 ビルの前に並ぶ社名入りの奉納ちょうちん 式典は屋上にある神社で行われますが、狭い所に大 勢の人が参列するので、いつもぎゅうぎゅう詰め。 医薬品関係者はもちろん、地元の役員の方々も参列 し、このお祭りが地元に根付いていることがわかりま す(なぜか消防署署長も来賓でみえてました)。 式典が終わったあとは一般参拝もおこなわれ、おみき やおしるこが振舞われ、くじ引きで福袋も当たります。 また特設屋台の上では祭りばやしが奏でられ、お祭 り気分を盛り上げていました。 翌日は、一転して葬儀です。宇都宮の作新学院で行 われた叔母の学校葬に参列しました。 式典は神教で行われ、またも神主さん登場です。 弔辞は、叔母と親交のあった森山真由美参議院議員 をはじめ、栃木県知事、宇都宮市長などのお歴々が 読み上げました。 次に玉串奉奠(ほうてん)をおこないましたが、普段な かなか機会もないと思うので、ここで正式な作法を。 神主さんから榊(さかき)を受け取ったら、祭壇の前で 榊を時計回りに半回転させ、枝の方を祭壇意向けて 供えます。深く二礼し、二拍手の後にまた一礼。 玉串奉奠は前日のお祭りでも行いましたが、大きな 違いは、葬儀のときは拍手する時に音を出さないこと です。 参列者は、学校関係の来賓、教職員、PTA、父兄、 生徒・学生のクラス代表。なにしろ幼稚園から大学ま であるマンモス校なので、代表だけでも数千人に及 び、式典は二時間半もかかりました。 式典が終わり、遺族は遺影とお骨を持って車で自宅 に向かいましたが、その進路の両側には生徒と校旗 がズラリと並んでました。 私は会場前で失礼し、生徒が解散してから自分の車 で帰りましたが、途中で、広大な構内を一周して元に 戻ってきた車列にバッタリ。 仕方なく校門までついていきましたが、やれやれと思 ってネクタイを緩めた私にまで、生徒や先生に最敬礼 されてしまいました。でも、先頭にならなくてよかったー。 ]]>