その絵は、徳川御三家のひとつの一橋(ひとつばし)家が、領地 内にあった宇津家を画家に描かせたものです。当時、宇津家は 一橋家に救命丸を献上していたので、どんな家なのか描かせた のではないかということです。私が聞いたもう一つの話しは、宇 津家に一橋家とのお見合いの話しがあり、どんな家柄なのか描 かせたというものでした。 その絵は代々一橋家で所蔵されてましたが、30年ほど前にどう いうツテでかその写真を撮らせていただきました。 それがこれです。昔の写真ですからなんとなくぼんやりしてます。 今回、その現物が水戸にある茨城県立歴史館に所蔵されている ことがわかりました。歴史館のホームページにも所蔵資料紹介に 載っており、それによると、昭和59年2月に一橋徳川家12代徳川 宗敬氏からいろいろな資料と一緒に寄贈されたとありました。 どうしてもその実物が見たくなり、できれば写真かコピーをとらせ てもらいたいと歴史館に電話を入れました。資料担当の先生に 事情を話すと、いつでもどうぞとおっしゃられました。コピーはだめ だが写真はOKとのことでしたが、資料用に撮ったフィルムがある ので、申請すれば貸し出しも可能とのこと。これはラッキーです。 水戸まで車で約1時間半。うまくいけば午前中に帰ってこれるか と思いきや、途中で事故渋滞に巻き込まれ、1時間以上も立ち 往生。それでもなんとかお昼前に歴史館に着きました。担当の先 生にお会いして早速閲覧室で見せていただくことに。 絵は4点あるそうで、他に3点あるのは初耳でした。最初に見せ られた絵がこれでした。ん?うちにある絵と何か違う。 保存の紙には宇津家屋敷図と書いてありましたが、上の写真と 比べてみれば一目瞭然。いまも残っている堀とか長屋門の配置 が全然違います。その事実を伝えると先生も驚いていました。 その次に見せられたのがこの絵です。これです!これに間違い ありません。 携帯のカメラで撮ったのであまり色は鮮明ではありませんが、実 物はとてもくっきりした色で、細かく描いてありました。 次に見せられたのが遠景。こんな絵があるとは知りませんでした。 中央の森が宇津家で、その手前には薬師堂が描かれています。 遠方の山は、左から日光、塩原、那須連山。でも、手前の武士が いる丘は実際はここにありません。 違う方向から見た遠景図。右手前にある建物は安住神社で、正 月に関東で一番大きなお供えを奉納するので有名です(ブログの 第2回を参照)。 4枚の写真を見終わり、フイルムをお借りする話を始めたところ、 フィルムは最初の違う屋敷のものしかないとのこと。エ~!です。 とりあえずビデオカメラと古いデジカメは持ってきたのですが、ま さかそれで撮ることになろうとは。 仕方なく机に乗って撮影開始。閲覧室の中なので、他の人はい るし先生はすぐそばで見ているし。暑くも無いのに汗がダラダラ。 一応2年前に買ったハイビジョンビデオカメラで写真を撮ったので すが、絵を押さえて撮れなかったので、変な折のまま。こんなこと ならちゃんとしたカメラマンを連れてくればよかった(ここに掲載し た写真はすべて携帯のカメラで撮ったものです)。 写真を修正し、きれいにできたらまたお見せします。 茨城県立歴史館 所蔵資料紹介の「一橋家」をご覧ください http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/08_shozou/hitotubasi.htm ]]>