城興寺は栃木県の芳賀町にあり、ネット で調べると、芳賀町の観光案内 に城興寺は載ってましたが、山門については触れていませんでした。ただ、 いくつかのブログに、宇津救命丸が明治時代に山門を寄贈したと確かに 書いてあります。 工場のある高根沢町と芳賀町は十数キロなので、まったく可能性がないわ けではありませんが、私にとっては初耳です。そんな記述も残ってないし、 先代からも諸先輩からも聞いたことがありません。もちろん、工場の人たち に聞いても知りませんでした。だいいち、うちにはれっきとした菩提寺があ り、他のお寺に寄贈したというのも考えにくいのです。 芳賀には、うちとまったく関係ない同じ名字の宇津氏がいました。領地を荒 廃させ、二宮金次郎に助けてもらったという、ちょっと情けない話が残って います。その宇津氏と混同しているのか、まったくのデマかと推測していま した。 その真偽は確かめる必要があります。 工場から12キロと近いので、カーナビを頼りに行ってみました。 国道から何の看板もない角を曲がり、狭い道をクネクネと入って行きます。 ほんとにこんなところに・・・と思ったころ、大きなお寺がありました。でも、 看板には「延生地蔵」とあります。「違うお寺かな」と思ったら、小さく城興寺 と書いてありました。 山門は大きく立派なものでした。しげしげと眺めましたが、どこにも宇津救 命丸寄贈とは書いてありません。やっぱりなにかの間違いでしょうか。 「そんな話知りません」と言われるのを覚悟で、お寺の人に聞いてみること にしました。若い僧侶に名刺を出してお話を聞くと、確かに宇津救命丸から 寄贈されたものとのこと。予想外の答えでびっくりです。 住職が出てこられ、詳しい話をするからと奥へ案内され、こたつにあたりな がらお話を聞きました。確かに、明治の初めに宇津救命丸から寄贈された もので、この辺では有名な話だそうです。境内に、安産と子育てにご利益の ある「延生(のべ)地蔵」があり、それにあやかったのではないかとのこと。 だんだん話が説法になってきて、暖かいこたつで眠くなるのを我慢し、30分 ほどありがたいお話を伺いました。その後、住職に案内され、お堂や山門を 見せていただきました。 住職と本堂 このこのカラフルなお堂の中に、地元の人々に親しまれる、安産・子育て・ 子授けの地蔵菩薩がまつられています。 門はしっかりした造りで、昨年の地震でも瓦一枚落ちなかったそうです。 どこにも寄贈と書いてないとは、ご先祖様も奥ゆかしい。 門にかかっている書は、山岡鉄舟のものだそうで、「延生山(のぶさん)」と 書かれています。延生地蔵の由来は・・・下記ホームページをご覧下さい。 詳しくはこちら → 延生地蔵 来たときは気づきませんでしたが、門の前には広い参道がありました。 参道の入り口の国道には、「延生地蔵」の大きな看板があったのですが、 まさか同じ寺とは知りませんでした。 門の前には、ベビー用品店が。犬の日には、安産祈願の妊婦さんが関東 一円から大勢来るそうです。 工場に帰ってこの話をすると、「延生地蔵」なら知っていて、みんな子供が できたときはお参りに行ったそうです。山門がうちの寄贈と知って驚いて いましたが、山門前のベビー用品店は工場の人の親戚と聞いてこっちも びっくり。 これもご先祖様の思し召し。今後はいい関係でいられたらと思います。 ]]>