私が小学生のころは英米製のプラモデルが全盛で、日本のメーカー はその模倣から始まりました。でもその出来映えはお粗末で、本家 とは比較になりませんでした。かといって輸入品は高額。1ドル360 円の時代ですから、いま千円で買える商品が当時は3600円ぐらい したわけで、子供には雲の上の存在でした。 その後数十年の時を得て、日本の金型技術の飛躍的な向上により、 日本製プラモデルは世界一の水準になりました。その代表がタミヤ です。「ゴールデンボンバー」のリーダーが着ているTシャツの2つ星 はタミヤのマーク。彼はプラモファン? いや、安いから着てるのだ そうです。 いまから50年ほど前、英米の戦車模型は1/32が主流でした。 そこにタミヤは1/35で殴りこみ。なぜ1/35にしたかというと、当時 の日本ではプラモをモーターで走らせるのが主流で、その構造から 1/35にしたそうです。ちなみに英米で主流だった1/32は、古くか らあった鉄道模型のスケールです。 その後日本でも、動かして遊ぶプラモから作って眺めるプラモに移 り変わり、子供のオモチャから大人の趣味になりました(自己弁護)。 そしていまでは、タミヤ独自の1/35が、戦車模型の世界水準に。 もちろん、前回のガルパンのプラモもそうです。 そして、1/32にこだわった英米の老舗メーカーは衰退し、いまで はほとんど消えていきました。 納戸の中から1972年製のアメリカ製プラモを発見。「コンバット」 を見て育った少年時代の宝物でした。フィギアなど珍しかった当時、 初版は日本のメーカーがコピーしまくってました。これは後に再販 されたものですが、ほんとは1/32なのに、箱には1/35と表記されて ます。皮肉にも不法にコピーしていた国のメーカーに屈した訳です。 そしていま、中国(香港)や東欧の新興メーカーが台頭。戦車のプラ モでは、模型店の棚の7割を占めるようになりました。その新興 メーカーの創成期は、日本がたどったような模倣の道ではなく、他 のメーカーが作らないようなマイナーなモデルを選択することから 始めました。いまでも中国製のブランド品のコピーは絶えませんが、 もし中国のプラモ業界が模倣から始めていたら、今の成功はなかっ たかもしれません。 マイナーなモデルといってもマニアの需用はあるのですが、プラモ デルの製造には精巧な金型と巨大な設備が必要なので、大手は採 算が合わないと創りません。そこに新興メーカーは目をつけたのです。 アジアや東欧の安い製作コストを背景に、マニアが切望する物をど んどん製品化していきました。 日本の過去の歴史を非難している国のメーカーが、旧日本軍の戦車 を次々と発売していたり、ロシアなど東欧のメーカーが、旧ドイツ軍 の戦車をどんどん出していますから、プラモデルの世界はイデオロギー とは無縁です。もちろん、モデラーも。 しかし、最初は調査不足と技術不足は否めず、形状の不正確さや 整形の悪さ、説明書の不備など問題はありました。それでも、世界 中のマニアは大喜び。それを修補する雑誌の特集やキットまで発売 されましたが、かなりの技量は必要でした。 そこで中国(香港)のメーカーはどうしたか?知識のある日本人に設 計を依頼し、日本に金型を発注したり技師を引き抜いたという話も。 どこかで聞いたような話ですが、そのせいか技術は一気に向上し、 いまや精密さにおいてはタミヤを超えたかもしれません。価格は国 産以上にどんどん上がってきましたが、心を掴まれたマニア(オタク の同類)は、それでも買ってしまうのです。 また新興メーカーは、精密さを追求するあまり部品の数が多くなり、 パーツを箱から出すと、元に戻してもフタが閉まらないほどです。 また、実物を忠実に再現しようとするあまり組み立てが複雑になり、 タイヤが4輪接地しないなんてことも多々あります。 その複雑な組み立てと高額になってきたことから、もはや子供が作 れるプラモデルではなくなっています。手先が器用と言われた日本 人の行末は? また、模型人口の減少と輸入品におされ、日本の メーカーの数も減ってきました。 一方本家のタミヤは、加熱したこの状況から一歩引いた状態で、 新しいジャンルを開拓しています。 でも、なんだかんだいってもタミヤのプラモの組み立てやすさは別 格。パーツは作りやすさをよく考えて分割されており、その丁寧な 組立説明図は、他の業界でも注目してるとか。 その配慮は日本人のオ・モ・テ・ナ・シ? ]]>