長屋門 ふつう長屋門は外にあり、門の中にまた長屋門があるの は珍しいそうです。そう言われれば確かにそうで、いま まで考えたこともありませんでした。また、門の高さが 高いのは馬に乗ったまま通るためで、そこから推察する と、当時主(あるじ)が馬に乗っていたか、役人がよく来 たのではないかとのことです。 注・当時長屋門を作るには許可が必要だったそうです。 薬師堂 以前から、日光東照宮の様式に似てるのは東照宮を建て た大工が作ったからではと言われてました。先生によれ ば、確かに東照宮を建てた後や冬の間、大工さんが下山 して、ここら辺の仏閣を建てたという話はあるとか。 そして、中の造作を見て確信したそうです。特に、雀の 彫刻は東照宮のにそっくりだとか。 東照大権現(徳川家康)の位牌 うちの薬師堂と徳川家康はまったく関係ないのに、薬師 堂の中に昔からありました。これは、この薬師堂を建て た大工が、東照宮も建てたんだよという証のために残し たのではないかとのことでした。 ルーツ 書院の中に、ここを建てた年号と主の名前を書いた木版 があります。名前の「宇津権右衛門」と「重華」の間に 「藤」とあるのは、元は藤原家ということを現している のだそう。果し合いの時「我こそは~」と名乗るぐらい むかしは血統を大事にしたのだとか。もっとも、たどり 過ぎるとみんな同じルーツになってしまうかも。 謎のお雛様 宇津家には、開けると目が潰れるというお雛様があり、 家宝とされてました。昭和の初期に初めて開けると、そ こには江戸時代に造られた4体のお雛様がありました。 3体は日光三所権現で、右下に東照大権現(徳川家康) があります。 なぜ目が潰れると言われていたかというと、徳川家康が 最下位にあることで、徳川の時代では反逆ととられる と危惧したからではないかと推測できます。では、なぜ わざわざそんなお雛様を造ったのかが謎でした。 先生によれば、左上と左下のお雛様に巴の家紋が入って おり、これは宇都宮家の家紋だそうです。先生の説では、 宇津家は宇都宮家と姻戚関係にあったことから、宇都宮 家は徳川家よりも格が上だと後世に残したのではないか とのことでした。とすれば、危険を冒してこれを作った 意味もわかります 先生の推測が多いですが、歴史の再認識が出来ました。 ]]>