旧暦では、毎月ごとに12支の日が決められており (実はよく知りません)、
初午とは2月最初の午の日のことです。、京都の伏見稲荷神社の神が降り
た日が初午であったことから、この日に全国の稲荷社で祀り行事が行われ
るそうです。
参照 旧暦カレンダー
http://www.ajnet.ne.jp/dairy/
工場の敷地内に稲荷神社があり、毎年、初午に安住(あずみ)神社の宮司
さんにお祓いをしていただきます。
安住神社は、正月に巨大な鏡餅を供えることで有名で、年末のニュースに
には毎年必ず出ます。宇津家とは江戸時代からの古いお付合い。
今年はちょうど2月3日の節分の日にあたり(毎年日が違います)、午後か
ら神社で豆まきがあるにもかかわらず、、宮司さんに来ていただきました。
お稲荷さんのお祓いが済んだら、今年はもう一つお祓いをしてもらう場所が
あります。それは、薬師堂のそばにある大木。
古くからある木ですが、大きくなりすぎて、道を通る大型車に枝がぶつかっ
たり、大量の落ち葉で掃除が大変になってしまいました。そこで仕方なく切
ることにしましたが、ご神木ともいえる木なので、切る前にお祓いをしてもら
うのです。樹の根元に御神酒をかけ、お祓いをしていただきました。
午後からは、息子に頼まれた調べ物のため、宇都宮の県立図書館へ。
息子は、高根沢町の商工会の依頼で、宇津家の歴史について公演するの
ですが、宇津家初代が務めていた宇都宮家がなぜ取り潰しにあったのか、
城内での初代の職は何だったのか、また、その後の領主、一橋家の陣屋
はどこにあったのかを調べて欲しいということでした。
宇都宮家は、1597年に豊臣秀吉によって領地を没収されましたが、その
理由は、うちにあった資料によれば、秀吉の親戚の子を養子に取るように
言われ断ったからとか、石高を偽っていたのが検地によってバレたからと
か、いろいろ説があるようです。
高根沢町発刊の「高根沢町史」によれば、宇都宮家が崩壊したあと、5人
の家臣が高根沢に帰農したという記述があり、その中に初代宇津権右衛
門の名前があります。ただ、家臣のときにどういう職についていたかまで
は書いてありませんでした。
県立図書館は、現在建て替え中のため仮の建物でしたが、図書館に行く
なんて何十年ぶり。窓口で知りたい内容を伝えると、係の女性が親切に
調べてくれて、7~8冊の本や資料をもってきてくれました。その中で、係
の人がこれが一番詳しく載っていると薦めてくれたのは、前記の「高根沢
町史」。あらら。
残念ながら、他に詳しい資料が見つからなかったので帰ることに。途中、
高根沢町の郷土資料館に寄って、一橋家の陣屋の場所を聞くことにしま
した。地元の人に聞いても、みんな知らないのです。
職員の方によれば、なんと午前中に宮司がみえた安住神社のすぐそば
にあったそうで、うちから約2キロの所。灯台もと暗しとはこのことです。
また、職員の方が、一橋家の陣屋は宇津家の中にあったという説もある
と言われたので、そのような記録はうちにはないと言いました。確かに、
ネットなどで見ても誤解されている方はいるようです。私が思うに、茨城
県立資料館に保存されている江戸時代の一橋家の陣屋の絵と、同じく
保存されている宇津家の屋敷図が絵が似ていることが原因かもしれま
せん(実際、歴史館もキャンプションが逆になってました)。
江戸時代の宇津家屋敷図
同じく、一橋家陣屋(たぶん)
歴史にあまり興味はありませんでしたが、身近なことから歴史好きになる
・・・かも。
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