叔母は母の妹で、宇都宮の名門船田家に嫁いでました。船田家は 代々政治家で、作新学院も経営しており、叔母は学院の院長もして いました。 5年祭というのは、亡くなってから5年目に行う神教の法事のこと。 船田家はもとから神教ですが、一般の人が神教でお参りするのは初 詣か七五三、結婚式ぐらいでしょうか。うちは仏教でありながら神様 も祭り、私も子供もキリスト教系の学校出身という超多神教。 宗教や民族の争いが無い日本は平和でいいですね。 仏教では1周忌から33回忌までありますが、神教では 1年祭から50年 祭、100年祭まであるというのでビックリです。 50年祭ではかろうじ て遺族も残っているかもしれませんが、100年祭に至っては、もはや 故人を知らない人たちばかりでしょう。曽祖父がいつ亡くなったか 覚えておくのも大変です。 船田家については、 栃木の名門(2008 10/4)で詳しく述べましたが、 先々代が衆議院議長、その兄弟も衆議院議員、先代は参議院議員 を経て栃木県知事、そしてその長男(私の従兄弟)も衆議院議員とい う、まさに政治家一家なのです。 船田家と宇津家の関係は古く、明治時代に開校していた「私立宇津 学校」の先生を、船田家の人がしていたことからの付き合いです。 私の母が宇津家に嫁いだことが縁で、叔母は船田家に紹介され、嫁 いだようです。 家は作新学院の一画にあります。今回の5年祭は、親戚と叔母の世 話をしていた人たちだけが呼ばれました。定時に神主さんがおみえ になり、祭典が行われました。神教は祭壇が高いので、みんな立って お参りします。仏教の正座も辛いですが、じっと立っているのもなか なかです。新教はお焼香ではなく、サカキを供え、2礼2拍手1礼す るのが神教流。 本人の写真は写っていませんが、左の円形の写真が先代、その隣 の写真が先々代、右のポスターが従兄弟です。 その後、みんなでお墓参りに行きました。墓地は宇都宮郊外の高台に あり、眺めのいいところ。神教のお墓というのは、ふつうとはちょっ と違って洋風?そばに碑が建っていて、祖父ご夫婦、叔母夫婦の名前 が刻んでありましたが、4人中3人が勲章を授与されているのがスゴイ です。 卒塔婆もなくちょっと洋風です 最後に宇都宮市内のホテルで、全員で食事をご馳走になり、叔母の思 い出話に花が咲きました。わたしの隣に神主さんが座ったので、いろ いろ話が聞けました。神主さんのノリトは聞いててわかりやすいと言 うと、後世に、わかりやすく直したのだそうです。お経もわかりやす くすれば、薬師堂のお経も一味違うのに。 ]]>