最初この本のことは知らず、自宅のテーブルの上に置いてあったのが目にと まりました。家内に聞くと最近のベストセラーで、息子が買って読んだとのこと。 「0 とは、もしかして零戦のこと?」と聞くと、そうだと言います。昨年友人に零 戦のプラモデルを作ってあげたこともあり、読んでみたくなりました。 ストーリーは、弁護士の資格がなかなかとれない主人公がやる気をなくしてい たとき、あるきっかけから、戦争で亡くなった祖父のことを調べ初めます。そし てその生きざまを知り、徐々に自分が変わっていくというものです。生き残った 戦友に聞いてまわるのですが、少しずつ祖父の人間性がわかってくることと、 極限の中の心理描写がよく描かれていることから、読んでて引き込まれてい きました。たぶん沢山の従軍経験者に取材をしたのでしょう。 主人公は最初、祖父が命が惜しくて逃げまわっていたという話を聞き、祖父に 嫌悪感をいだきます。しかし次々と話を聞いていくうちに、祖父は優秀なパイロ ットで、家族思いで部下思いだった優しい人柄がわかってきます。そしてその 優しさ故、命を断つことになるのです。開戦当初は華々しい戦果を誇りながら、 最後は特攻という非情な命令を受ける祖父。さらに、特攻という確実な死のた めに操縦訓練を受ける学生など、当時の悲惨な状況が伝わってきます。 もう一つ読んで惹かれたのは、主役ともいうべき零戦の詳細をよく調べてある こと。作者がマニアなのかは知りませんが、デテールの細かい描写は、より 話に真実味を与えています。 それは、スピルバーグが戦争映画を作るとき、 当時の本物の戦車や戦闘機にこだわって、実物そっくりに作って登場させるこ とと通じるような気がします。逆に、ある流行作家が時流に乗った戦記モノを 書きましたが、ろくに勉強もせずに書いたようで、その薄っぺらい内容は真実 味がなく、読む気が無くなってしまいました。 同じように、以前特攻をテーマにした映画を見ましたが、本物の代わりにミニュ チアを使ったのはいいとしても、当時のアイドルが長髪のままだったり、丸々 太った特攻隊員がいたりして、緊迫感がゼロでした。この小説も年内に映画 化されるそうですが、いまのCG技術で臨場感は出せるでしょう。だから、祖父 役の岡田准一君も、是非坊主頭で頑張って欲しいものです。 私が少年時代の雑誌は、零戦や戦艦大和のオンパレードでした。だから私も ちょっとは詳しいのですが、零戦の正式名は零(れい)式艦上戦闘機。旧日本 海軍では「れい戦」と呼んでいましたが、アメリカ側が「ゼロファイター」と呼ん でいたことから、戦後「ゼロ戦」と呼ばれるようになったのです。だから、本来 ならばタイトルは「永遠のれい」ですね。ちなみに0 式というのは、正式採用に なった年が皇紀2600年(昭和15年)で、末尾の0を付けたからです。 靖国神社に展示してある零戦。懐かしそうに訪れるお年寄りは元パイロット? 話を内容に戻しますが、当時、いかに軍部が人間の命を軽視していたかとい うことも描かれています。開戦当初、零戦の性能は運動性、航続距離ともに ずば抜けており、ほとんど無敵でした。しかしそれは、人命を犠牲にした結果。 機体を軽くするために、パイロットを守る防弾装置はほとんどなかったのです。 開戦当初は熟練したパイロットが操縦し、敵弾を回避することができましたが、 戦争後半になるとパイロットが未熟なため、防弾能力のない零戦はバタバタ と撃墜されることになったとか。一方アメリカ軍機は、運動性能を犠牲にしても 人命を重視し、操縦席は防弾板と防弾ガラスで囲われ、燃料タンクは発火し ないようにゴムで覆われていました。なので弾が当たってもなかなか墜落せ ず、優秀なパイロットが生き残って、結果的に勝利へつながったのでしょう。 人命軽視の最たるものが、話の後半に出てくる特攻です。他の国にも特攻兵 器はありましたが、絶対生きて帰れないのは日本のだけだったようです。 若い特攻兵はお国のために喜んで志願し、笑って飛び立っていったと伝えら れています。遺書にもそう書かれていることから、この物語でも、同席した新 聞記者が、特攻隊は狂信的なテロリストだと断定します。そのとき、生き残っ た戦友は烈火のごとく怒りました。「物書きのお前に、彼らの本当の気持ちが わからないのか!」と。 特攻隊のほとんどが、ハタチそこそこの若者です。確実に死ぬことがわかって いながら、敵艦に突っ込む訓練だけを受けて飛び立つ様子は、読んでいて胸 が熱くなりました。一つ驚いたことは、特攻隊で亡くなった日本人は四千人だ そうですが、ドイツ本土を爆撃に行き、撃墜されて亡くなったアメリカ兵はそれ 以上の五千人もいたそうです(爆撃機の乗員は10名)。しかしその気持には、 生きる望みと確実な死という、比べようのない差があったことでしょう。 話は戻りますが、特攻隊員をテロリストと決めつけた新聞記者に、老人はマス コミの責任を問います。戦争前には開戦ムードをあおり、戦中は軍部の言い なりになって国民を欺いた責任を。そういえば、以前公開された映画「山本 五十六」でも、新聞社は山本長官に開戦を迫り、国民を戦争に引きずり込ん でおきながら戦後は手のひらを返すように民主主義を唱える姿を描いてます。 湾岸戦争の終結後、自衛隊の掃海艇がペルシャ湾の機雷を処理に行くとき、 ある人気ニュースキャスターが「 いったい何の役に立つのでしょう」と言いま した。その言葉を聞いて驚き、怒りが込み上げ、 次に涙が出ました。何千 キロも離れた灼熱の地に命をかけて行く自衛官と、その家族が聞いたら、ど んな気持ちになったでしょう。戦争当時、特攻隊が飛び立つ前に、命をかけ て「こんなことをして何のためになる」と発言できたら大したものですが・・・ この作品を書いた百田尚樹さんは「海賊と呼ばれた男」で本屋大賞を受賞。 これも是非読んでみたいものです。 ]]>