祖母の妹と。右が祖母です。 救命丸のお姉ちゃんのモデルは自分だと言っていましたが・・・ 父と妹(私の叔母)の子供のころの写真もありました。 正月に晴れ着を着て嬉しそう。 でも、父の妹はこの数年後に病気で亡くなりました。そん なことを知る由もない笑顔が可哀そうです。以前祖父の遺 品の手帳を見た時、娘を亡くしたことが一番つらかったと 書いてありました。 むかしのことを知る人がだんだんいなくなってしまったので、 この機会に親戚の長老にいろいろ聞いてみました。 わたしが気になっていたのは、実家にある奥書院を建てた ときの由来です。 以前はもっと庭の中にあり、昭和の中期に移したそうです。 以前聞いた話では、明治時代に地元で陸軍の大演習があ り、そのときの師団長が皇室の方で、お泊り頂くために建 てたというもの。でも、町史によると確かにそのころ大演習 はあったものの、その年号は奥書院を建てる前。なので その真偽を確かめたかったのです。 長老によると、むかしは奥書院の前に書院があって、そこ に風呂桶のない風呂場があったそう。当時皇族が入浴する ときは浴槽に入らず、たらいにお湯を汲んで入ったそうで、 そのために浴槽のない風呂場を作ったのだとか。ちなみに その後も家の人は誰も使わなかったとのことでした。 そんな話を聞くと真実味が増し、町史の年号が間違ってい るのではとさえ思ってしまいます。 奥書院にある建築年度を記載した木版。さすがにこの年号 が間違っていることはないでしょうが・・・ ついでに「そのときの報酬は?」と聞くと、泊まっていただく だけで光栄だったのだから、当然無報酬だったろうと。 そういえば、史料館に菊の御紋が入った杯がありました。 なんでうちにあるのか謎でしたが、もしかしたらそのときに 頂いたものかもしれません。 もう一つおもしろい話を聞きました。これは私の祖母から 聞いた話だそうです。 江戸時代、高根沢は水戸の一ツ橋家の領地で、宇津家に 水戸藩の侍も出入りしていたそうです。幕末のある日、そ の水戸藩の侍から、江戸に行ってある人物の暗殺を手伝っ て欲しいと頼まれたとのこと。 もちろん断ったそうですが、その起きた暗殺が「桜田門外 の変」。その相手は井伊直弼だったのです。もし手伝って いたらお家断絶。宇津家はなくなっていたと祖母は言って たそうです。 この話の真偽のほどはわかりませんが、もしかしたら歴史 の一コマに関わっていたかもしれないすごい話が聞けまし た。 ]]>