続・遠い思いで

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子供の時、とくに治療で痛かったのは今でも覚えています。

 

親指の爪の中に砂粒が入ったとき、局部麻酔をして目の前で
メスで爪を剥がされました。もちろん大泣きです。
尿道に細菌が入って腫れた時は、同じ先生にカテーテルを突っ
込まれ、この先生が大嫌いでした。

 

頬っぺたが腫れる「おたふく風邪」が流行りました。高熱が
出てほっぺたが腫れるのですが、医者に行くとほっぺたに石膏
のようなものを塗られ包帯されました。たぶん熱を吸収させる
為だったと思います。しばらくするとパリパリに乾きました。

 

当時、おたふく風邪に2回かかると子供が出来ないと、まこと
しやかに言われていました。私は2回かかりましたが子供は3
人出来ました。脳ミソの出来不出来に影響したかは不明です。

 

小学校低学年の頃、やっと工場にライトバンが来て、工場の人
の運転で宇都宮まで行けるようになりました。たまに東京から
祖父母が来て、車で宇都宮まで迎えに行くのが楽しみでした。

 

祖父はたいてい駅ビルの食堂で「冷や麦」を食べてましたが、
その中に1本入っているピンクの麺と1個のサクランボを、
またしても姉と取り合いに。生存競争が厳しかったです。
食後に売店でおもちゃを買ってもらうのが定番コースでした。

 

祖父が宇都宮市内で用事がある時は、工場の人と一緒に映画を
見て待っていました。怪獣映画ならいいのですが、工場の人の
好みで「駅前◯◯」とか大人向けコメディーの二本立てを見さ
せられた時は退屈でした。

 

実家に電車で行く時は、東北本線で上野駅が始発。なすの号と
いう急行列車があり、宇都宮まで1時間半ぐらいかかったと思
います。売店でカチカチに凍ったミカンを買い、溶けるのも
もどかしくシャリシャリしたのを食べました。

 

当時の飲み物といえば瓶入りのバヤリースオレンジか三ツ矢
サイダー、濃縮のカルピスぐらい。そうそう、粉ジュースとい
うのもありました。
粉ジュースは水を入れるだけでオレンジジュース(のようなもの)
が出来、飲むと舌がオレンジ色に。遠足で山に登ったとき粉
ジュースを渡され、湧き出た炭酸水で溶かして飲んだ時は美味
しかったです。

 

カルピスは、なるべく薄く作ろうとする母と、「もっと濃くして!」
とせがむ子どもたちのせめぎ合いでした。

 

当時のバヤリースは、たしか果汁0%だったと思います。
外で飲んでいいのは一人一本なので、姉と二人でジュースと
サイダーを両方頼み、半分づつ分けて飲んでいました。
ある日二本を混ぜてみると、美味しい炭酸のオレンジジュース
が出来上がり大発明でした。ファンタオレンジが出るずっと前
ですから、特許をとっておけばよかったです。

 

ある日母が初めてコカ・コーラを買ってきました。冷えてなか
ったこともあり、薬臭い気がして吐き出してしまいました。
(もともとは喉の薬を、間違って炭酸で薄めたのがコカコーラの
始まりだとか)。

 

その後は普通に買って飲むようになりましたが、酒屋に瓶を持っ
ていくと10円返金になりました。当時はガラスが貴重で、瓶
を再利用していたからです。今よりずっとエコですね。
ちなみにビール瓶も10円で回収してましたが、各社瓶の規格
が同じなので、瓶のメーカー名とラベルのメーカーが違うこと
が多々ありました。

 

コーラの瓶に◯や▢のマークがあり、これは何だということに。
◯が甘口、▢が辛口という怪しい話もありました。

 

母がなぜか不二家のモニターになり、毎月いろんな種類のチョコ
レートが届きました。子供にとっては願ってもない話ですが、
毎月毎月届くチョコレートにだんだんうんざり。とくにクリーム
が入っていたチョコが嫌いだったので大量に残っていました。
虫歯が多かったのはそのためかな。

 

近所の床屋に行くと、いつも丸いオレンジのガムをくれました。
大きくなってからしばらく行かなくなりましたが、久しぶりに
行って散髪が終わるとタバコをくれ、火を付けてくれました。
大人になったと実感した瞬間です。

 

遠い思いで