英国人的趣味?

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現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世が、吃音障害を乗り越え て、国民を勇気づける見事なスピーチを披露するお話です。アカデミー賞 を受賞しただけに、大変感動する内容でした。 しかし、私が注目したのは違う所。 彼が吃音の矯正の先生の自宅を尋ねると、机の上に子供が作りかけの 飛行機のプラモデルがあったのです。1936年にすでにプラモデルがあ ったことも驚きでしたが、塗装をしていた様子にはもっと驚きました。 最近の映画は史実に忠実なので間違いないと思いますが、マニアとして は確かめないと・・・。そこでネットで調べると、プラモデルは1936年に世 界で初めてイギリスで販売されたそうで、映画の設定はギリギリ。なので、 映画の中で彼が「私も子供の時に作りたかった」と言っているのは、木製 の模型のことでしょう。もともとプラモは、空軍が敵機の形を覚えるために 創られた物とか。 プラモデル専用塗料は、これもイギリスで初めて出来たそうですが、発売 が1950年なのでこれはアウト。専用でない塗料という可能性もあります が、塗れたものではありません。ちなみに、プラモデルという言葉は、19 54年に日本のメーカーが商標登録したもので、翻訳者が間違っています。 日本にプラモデルが生まれたのが1958年頃ですから、戦争があったと はいえ、実に20年以上も文化の差があった訳です。私が子供の頃作っ た初期のプラモデルは、作って眺めるというより動かして遊ぶオモチャ。 精密というには程遠いものでした。 この頃のプラモはアメリカ製の全盛期。精密な形とそれらしい色は(当時は 色を塗るという発想がなかった)、子供たちの垂涎の的。でも、1ドル360 円の時代ですから、とても子供に手の届くものではありません。 当時、友人の親戚がアメリカにいて、家に遊びに行くとアメリカ製のプラモ やオモチャがいろいろあり、羨ましかったのを覚えています。 その頃登場したのが、アメリカ製をコピーしたもの。粗悪品でも値段が安 いのが魅力でした。そのうち、日本の中でも抜き出たメーカーが出てきま したが、それすらもコピーするという、もう無茶苦茶な時代。日本も、過去 は今の中国と同じ歴史をたどっているのです。 その後設計と金型技術の発展により、日本のプラモデルはどんどん精密 になって世界を席巻。そして、私が子供のころ憧れたアメリカやイギリス のメーカーは、どんどん衰退していきました。 一つ不思議なのは、なぜ精密機械が得意なドイツに、プラモのメーカーが ないのかということです。鉄道模型では素晴らしいものを造るのに。 これは私の想像ですが、プラモの歴史は第二次大戦の戦車や戦闘機に ありました。特にドイツの戦車は人気がありましたが、戦争を起こした張本 人が、自国の戦車をヨーロッパの真ん中で創る訳にいかなかったのかも。 いま、その被害者の東欧諸国が、争ってドイツの戦車を作っているのが なんとも皮肉な話です。 そして現在、プラモデル売り場の半分は、中国製か東欧諸国の製品です (ある特定の分野ですが)。それは、安いからではなく(逆に高い)、より精 密でマニアの欲しがる商品を矢継ぎ早に製品化しているからです。つまり、 マーケッティングと製造コストの勝利。そして、かって欧米製品を駆逐し、 栄華を誇っていたいくつもの日本メーカーが消えました。 歴史は繰り返されてますが、、いま急激に伸びている中国のメーカーは、 日本人に設計させ、日本の金型を使っているそうです。それを聞くだけで、 少し誇らしい気持ちになりますね。 ]]>

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